------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ 例 黒須《くろす》 太一《たいち》 【読み進めるにあたって】 ストーリーは 1,「CROSS†CHANNEL」からはじまります。 順番はこの下にある【File】を参照のこと。 このファイルは CROSS†CHANNEL  3,「CROSS POINT(3周目)」 です。 ------------------------------------------------------- FlyingShine CROSS†CHANNEL 【Story】 夏。 学院の長い夏休み。 崩壊しかかった放送部の面々は、 個々のレベルにおいても崩れかかっていた。 初夏の合宿から戻ってきて以来、 部員たちの結束はバラバラで。 今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。 主人公は、放送部の一員。 夏休みで閑散とした学校、 ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。 屋上に行けば、部長の宮澄見里が、 大きな放送アンテナを組み立てている。 一人で。 それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、 完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。 以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。 今や、参加しているのは一名。 そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。 ともなって巻き起こる様々な対立。 そして和解。 バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。 そして夏休み最後の日、送信装置は完成する——— 装置はメッセージを乗せて、世界へと——— 【Character】 黒須《くろす》 太一《たいち》 主人公。放送部部員。 言葉遊び大好きなお調子者。のんき。意外とナイーブ。人並みにエロ大王でセクハラ大王。もの凄い美形だが、自分では不細工の極地だと思いこんでいる。容姿についてコンプレックスを持っていて、本気で落ち込んだりする。 支倉《はせくら》 曜子《ようこ》 太一の姉的存在(自称)で婚約者(自称)で一心同体(自称)。 超人的な万能人間。成績・運動能力・その他各種技能に精通している。性格は冷たく苛烈でわりとお茶目。ただしそれは行動のみで、言動や態度は気弱な少女そのもの。 滅多に人前に姿を見せない。太一のピンチになるとどこからともなく姿を見せる。 宮澄《みやすみ》 見里《みさと》 放送部部長。みみみ先輩と呼ばれると嫌がる人。けどみみ先輩はOK(意味不明)。 穏和。年下でも、のんびりとした敬語で話す。 しっかりしているようで、抜けている。柔和で、柔弱。 佐倉《さくら》 霧《きり》 放送部部員。 中性的な少女。 大人しく無口。引っ込み思案で、人見知りをする。 でも口を開けばはきはき喋るし、敵には苛烈な言葉を吐く。 凛々しく見えるが、じつは相方の山辺美希より傷つきやすい。 イノセンス万歳。 桐原《きりはら》 冬子《とうこ》 太一のクラスメイト。放送部幽霊部員。 甘やかされて育ったお嬢様。 自覚的に高飛車。品格重視で冷笑的。それを実戦する程度には、頭はまわる。 ただ太一と出会ってからは、ペースを乱されまくり。 山辺《やまのべ》 美希《みき》 放送部部員。 佐倉霧の相方。二人あわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と呼ばれる。 無邪気で明るい。笑顔。優等生。何にもまさってのーてんき。 太一とは良い友人同士という感じ。 堂島《どうじま》 遊紗《ゆさ》 太一の近所に住んでいた少女。 群青学院に通う。 太一に仄かな恋心を抱くが内気なので告白は諦めていたところに、先方から熱っぽいアプローチが続いてもしかしたらいけるかもという期待に浮かれて心穏やかでない日々を過ごす少女。 利発で成績は良いが、運動が苦手。 母親が、群青学院の学食に勤務している。肝っ玉母さん(100キログラム)。 桜庭《さくらば》 浩《ひろし》 太一のクラスメイト。放送部部員。 金髪の跳ね髪で、いかにも遊び人風。だが性格は温厚。 金持ちのお坊ちゃんで、甘やかされて育った。そのため常識に欠けていて破天荒な行動を取ることが多い。が、悪意はない。 闘争心と協調性が著しく欠如しており、散逸的な行動……特に突発的な放浪癖などが見られる。 島《しま》 友貴《ともき》 太一の同学年。 元バスケ部。放送部部員。 実直な少年で、性格も穏やか。 激可愛い彼女がいる。太一たち三人で、卒業風俗に行く約束をしているので、まだ童貞。友情大切。 無自覚に辛辣。 【File】 CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」  2,「崩壊」 CROSS POINT  1,「CROSS POINT(1周目)」  2,「CROSS POINT(2周目)」  3,「CROSS POINT(3周目)」 たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」  2,「たった一つのもの(2週目)」  3,「たった一つのもの(大切な人)」  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」  5,「たった一つのもの(親友)」  6,「たった一つのもの(謝りに)」  7,「たった一つのもの(Disintegration)」  8,「たった一つのもの(弱虫)」 黒須ちゃん†寝る  1,「黒須ちゃん†寝る」 ------------------------------------------------------- CROSS†CHANNEL  3,「CROSS POINT(3周目)」 最古の記憶は。 日付さえおぼろげな、遠い霞のなか。 貴族的な気品を抱く、豪華な私室。 そこには天蓋つきの寝台も欧羅巴製の椅子もあった。 けど床に座るのが一番好きだった。 こんな日は特に。 窓から見える黒の帳は星月夜。 枠に切り取られた散在する瞬きに目を奪われる。 外界と室内を隔てる窓ガラスに、己の姿が映る。 深窓の令嬢——— 洋風のドレスに身を包む、楚々とした少女。 きみはいったい、だれですか? CROSS†CHANNEL 崩壊寸前だった放送部の面々を集めて、合宿にまでこぎつけた。 大変な苦労があった。 放送部の正式な部員は現在のところ、 支倉曜子 宮澄見里 黒須太一 桜庭浩 島友貴 桐原冬子 山辺美希 佐倉霧 の八人。 この八人……合宿前段階で断絶の関係にあった。 まず曜子ちゃんは他人に興味ないので、部活になんて参加しない。 桜庭はもともと放浪癖があって、定期的に部活に来るなんてのはありえない。 島はみみ先輩といさかいを起こして冷戦中。 冬子は俺と冷戦中。 美希は愛想だけは良かったが、霧につきあって部とは距離を隔てた。 霧は俺のこと嫌っているし。 その俺もなんとなくサボっていたし。 みみ先輩が一人で、様々な処理を片づけていたらしい。 俺は奮起し、皆を集めた。 多少強引な手段でだ。 去年の海水浴も、似たような手を使った。 一度引っ張り出せばこっちのものだ。 例年実施されていた夏合宿を敢行に至らしめた。 ……大失敗だった。 教員に内緒でやったこともあるのだが。 友貴『……姉貴のせいだろ!』 霧『不愉快です』 美希『……やめよぅよー、けんかーはー』 太一『ちょ、ちょ、だますとかだまされるとかでなくてさ!』 冬子『騙したんでしょ!』 見里『だから……いやだったんです……みんなでなんて』 揉めた。 何も成し遂げられることはなかった。 人間関係はそのまま。 むしろ、はっきりと浮き彫りにされただけで。 悲嘆と苦痛のうちに合宿は終わってしまった。 数日間、俺たちは互いに言葉なく過ごした。 単体で会えば、まだ会話もできる。 けど複数の疎遠な人間関係が、多重になって、雰囲気は最悪だった。 今回、みみ先輩の力を借りていた。 おかげで先輩の信頼まで、なくしてしまうことになって。 先輩は俺をどう思っただろうか。 七人は帰路に就いた。 俺は見たくなかった。 憔悴し、倦怠し、視線を外しあって交わらせず。 そんな他人のようなみんなの顔を。 だから先頭に立った。 早足で、歩いた。 途中で日が暮れた。 ひどく長い時間、歩いていた気がする。 何時間も。 普段は一時間もかからない道だ。 疲労のせいか。 誰も何も言わなかった。 七つの足音だけの世界だった。 異様に静かな山道。 虫の音さえも耳に届かない。 空気までも冷たく感じさせる。 夏だというのに。 その瞬間、 世界がぶれたようだった。 同じ風景が、違う側面から見たもののように感じられた。 一度立ち止まった。 進んでいいものか、どうか。 けど俺は進んだ。 見里「ぺけくーん……」 背後から、先輩の声が追いかけてきた。 けど俺は進んだ。 前向きに逃げていた。 この時もし『見直して』いたら。 あるいは立ち止まらなかったら。 俺たちは道をあやまらずに済んだのだろうかと、考えてしまう。 CROSS†CHANNEL 月曜日……か。 朝七時。 起床の時間だ。 だが! 起きなくて良いんだよ、坊や——— そんな優しいグランドマザー声〈ヴォイス〉が響く。 それはおまえを食べてしまうためだよ!——— それババア違う。ウルフ。 ということで寝て良し。 太一「フフフ」 幸せだ。人類とか滅亡したのか知らんけど、今この瞬間、俺の幸福感は限りなく神に近い。 曜子「……太一………太一。起きて」 太一「う〜〜〜んっ」 曜子「起きないとエッチなことをすると思う」 太一「……ぐう」 曜子「……そう」 太一「え?」 布団の中に誰かいる! 太一「や、やめれーっ!」 布団をはぐ。 曜子ちゃんがいた。 太一「わーっ!?」 蹴る。 曜子「うっ」 ころん、と背後に転がるが受け身を取った。 太一「なんばしよっと!!」 うかうか寝てもいられないぜ! 太一「なにしにきた!」 曜子「……お弁当」 紙袋を掲げる。 太一「アンタんとこでは、弁当届けにきてフェラッチーオするのかね? ん?」 曜子「なぜか二人分」 太一「聞けよ!」 太一「……いや、いいや……常識ない人に常識説いても仕方ないし」 どっと疲れた。生気を抜かれたせいだ。 曜子「報告が」 太一「……あに?」 着替えることにした。 脱ぎ捨てる。 別に彼女に見られるのは恥ずかしくない。というかどうでもいい。 曜子「拭いてあげる」 太一「え、いいよそんなの……自分ででき……」 曜子ちゃんの手にローションボトルが握られていた。 太一「俺の半径2メートル以内に近寄るんじゃねぇ!!」 ぴたり、と足が止まる。 太一「……前立腺マッサージをしようとしたな?」 曜子「いいえ」 太一「普段いじめられてるから仕返しです 曜子「いいえ」 太一「じゃあどうしてそういうことをするんですか、あなたは」 曜子「……好きだから」 太一「うそジャー!!」 俺は某人工衛星に積まれた人類とその歴史を示すプレートに描かれた全裸の成人男性のようなポーズを取りながら、彼女の言葉を否定した。 太一「前立腺マッサージで俺を虜にしようとしたな?」 曜子「いいえ」 太一「くっ、雌豹め……罪を認めようとしない」 太一「もういいよっ」 新しいパンツを探す。 曜子「はい、出してある」 太一「ん」 受け取る。ヒヤリとしたが、構わず履く。 太一「……え?」 それは金属製の下着だった。カチン、と尻の方から施錠するような音。振り返ると曜子ちゃんが、しゃがみ込んでなにかしていた。 太一「なんしとん……」 曜子「鍵……かけた」 太一「……なんで?」 曜子「鍵をしないと外れてしまうから」 太一「だからどうしてパンツに鍵を!?」 曜子「貞操帯だから」 太一「て……」 ていそうたい。 太一「はおっ、脱げない!?」 曜子「鍵がないと脱げない」 太一「鍵!」 襲いかかる。 曜子「ごっくん」 舌にのっけて呑んだ。 太一「おわー!? なんで、どうしてっ!?」 曜子「……先週の太一はHだった。だめ、そんなの」 太一「先週は自慰しかしとらんですばい!」 曜子「その先週じゃない。とにかく目に余る所業、断固阻止」 太一「……わけわかんないよ……だいたい鍵……呑んじゃって……」 曜子「もう外れない」 太一「浣腸するぞこのアマ」 曜子「……いいけど、今しても無駄だと思う。それでいいなら、どうぞ」 やられた。この人、たぶん自力で吐き出せるんだな。金魚を生きたまま呑み込んで吐き出すおじさんみたくだ。 ハメられた。 ハメられすぎた。 ハメられあげた。 曜子「落ち着いて私の太一。貞操帯をつけたのには理由があるの」 太一「苦楽をともにしてきた戦友に貞操帯をつけなければならないほどの理由があるとでも?」 曜子「……今朝、少し調べてみたのだけれど」 何事もなかったように話しだす夢魔。 曜子「発電所に行けなくなっていたの」 太一「貞操帯をつけた理由」 曜子「それと祠の情報で、だいたい把握できた」 太一「貞操帯をつけた理由!」 曜子ちゃんは荷物をあさりだした。わけわからん。 曜子「太一、これを」 新品のノートを束で渡された。 太一「……今提示された情報そしてアイテムは、互いにまったく繋がろうとはしない」 説明不足にもほどがある。 曜子「それと……いろいろヘン。だからもう少し本格的に調査してみたい ……で見守っていない間、太一がヘンなことしないように貞操帯を」 太一「ああ……」 がっくり。そういうことか。 曜子「昼は戻ってくるから」 だから二人分の弁当か。 ……なんか曜子ちゃんが能動的だ。 なんかあったか。特に刺激するようなことしてないのに。頬に唇を押しつけて、部屋を出て行った。 太一「はぁ」 ロボットのように通学を開始した。股間には違和感。すれると痛い。がに股なってしまう。 太一「せめて、がに股が似合う好漢……バンカラで行くか」 今の俺にできるのは、下駄を鳴らしつつ応援団旗を地面に落とさないことだけだった。坂を歩き出すと。 太一「むっ?」 タイヤがキュッと地面を擦る音。危険信号。 太一「……ふ、甘い! はーっ!」 どんな攻撃も、事前に予測していれば回避はたやすい。 ドカーン! 太一「せーーーーーーーーーーーっ!!」 歩行の邪魔をする貞操帯さえなければなぁ!! 七香「ごめーーーんっ!」 空中でサイドチェストをアピールしながら、雑木林に放り投げられた。 七香「平気ー?」 太一「……貞操帯が守ってくれたからな」 七香「はあ?」 太一「心ばかりの皮肉だ。気にするな」 雑木林から出てきて、ホコリをはらう。もちろんがに股だ。 七香「がにー」 太一「……がにーと呼ぶな」 反射的に口走るヤツめ。 七香「今週も元気そうだ」 太一「意味の通らないことを。だが道理は通してもらうぞ、富江!」 七香「七香だよ、太一」 太一「とりあえず完璧に知らない人が俺の名前を知っているのはどういうことだろう?」 七香「きにするな」 太一「するわい」 運動神経はいいようだった。こちらが徒歩でしかもがにーで低速なのに、よろけもせずに併走する。 見るからに、元気|溌剌〈はつらつ〉幼なじみ美少女といった案配だ。毎朝起こしにきてくれたり。 太一「で、ご用件は? 存在感のない人」 七香「存在感がない?」 太一「ない。軽い。スカスカ」 七香「よくわからないけど、気配みたいなもの?」 太一「そう。ぶっちゃけ、キミが人間じゃないことも俺脳内審議委員会で明らかにされている」 七香「は、そんなことまで……鋭すぎるよ太一」 太一「フッ。この察知能力に俺のメタ推理を重ね合わせることで、キミの正体までも絞り込むことができている」 七香「うわ、ホント?」 太一「キミはさそり座の女……つまりさそり座V861星に住む知的生命体なんじゃないかなって俺は思ってる」 七香「ブラックホールじゃん、そこ」 太一「……」 七香「適当だよね、かなり」 太一「……まあ。それが仕事だし」 七香「毎回大変だ」 太一「毎回とか今週とかさ。わかんないんだよ。初対面だろうが」 七香「何度もぶつかってるよ?」 太一「ない、それはない」 記憶にないし。記憶喪失じゃないし。 七香「……ま、それはいいんだけどさ。しかし一回くらい恋が芽生えても面白いのになー」 すごいことを言った。 太一「え……俺に気があるということですか? この鷲鼻の俺に?」 七香「どこが鷲鼻なの? 普通に見えるけど」 太一「曲がってるじゃん。見てわかるでしょ」 七香「ぜーんぜん」 太一「おっかしいなぁ……」 七香「ちょっと曲がってるかもしれないけど……気にするほどじゃないと思うよ」 ぐっさり 太一「やっぱりそうか……曲がってるのか……」 ある頃から、鼻のねじれは気になりだした。 ……成熟とともに自我を意識し、自分を嫌いになった頃と同期する。 太一「うーーーーん」 七香「なんだなんだ」 そうなのかな。周囲からの様々な悪意とか害意とか。そういうものを意識するあまり、理由づけを容姿に求めてしまったのだろうか。なんかで読んだな、そういう学説。 太一「ま、いいや、容姿なんて。偏向しきった物語の主人公がテキストで平凡って描写されてても絵では美形なのが変わることはないのだし」 七香「……まあまあ、毒はそのへんにしといてさ」 七香は政治的判断を下した秘書クラスの顔をしていた。 太一「で、キミってこの人類滅亡症候群とどう関係あるわけ」 七香「無関係」 太一「うそだよなぁ……絶対」 七香「本当だよ。人類は勝手に滅びました。理由はわかりません」 凝然と少女を見つめてしまった。 太一「……知ってるの?」 七香「見てた」 太一「見てた!?」 七香「うん。見てた。世界はね、ゆっくりと滅びていったんだよ」 太一「ゆっくり? ゆっくりってどのくらい?」 七香「んー、さあねぇ。時間感覚なくなっちゃって」 太一「変だ。だって、俺たちが合宿行く前は普通だったんだよ? 合宿は二泊三日だったから……三日かけて滅亡したってこと?」 七香「ううん」 七香は首を振る。 七香「……もっとだよ」 太一「そりゃおかしいな。理屈に合わない」 七香「ものの見方の問題だと思うよ」 太一「はー?」 意味がわからない。 七香「ま、過ぎたことをくどくど考えても仕方ないよ」 太一「そうだけど……人類って、こんな簡単になくなるものなんだったんだな」 七香「どっかでなにか起こった、ってあたしは思ってる。なんとなく、肌の感覚でね」 太一「どっか?」 七香「言葉じゃうまく説明できないんだけど…… どこかで大きな波があって、それがバーッて広がったんだと思う。あたしの知覚力じゃそれが限度」 太一「……キミは……神様なのかな?」 彼女は苦笑した。 七香「ちがうちがう。そんな偉くないって。何もできないしさ ……なにもわからないんだよ」 太一「じゃあ、どうして俺の前に」 七香「……ん、それは……ちょっと言えない。言う資格がないから。ごめんね」 太一「資格……か」 そういう感覚、よくわかる。俺が……仲間とつるんで普通に生きる資格がないのと同様。だから群青に送られてきた。人を傷つけるものだから。俺は危険だから、友達を作る資格はない。そしてそれは……正しい。圧倒的に。 太一「じゃあ無理には訊けないな」 七香「……ん、悪いね」 太一「別に。しかし、なんもわからんわけだ」 七香「あの子が頑張れば、謎そのものは解けると思う」 太一「彼女? 曜子ちゃんかな?」 七香「……好きにはなれないけどね」 と唇を尖らせる。 太一「嫌いなんだ」 七香「そうじゃないけど……なんとなく気にくわない」 太一「ふーん」 七香「掃除させたあとで窓枠を指で撫でて、不備を指摘してやる」 太一「姑みたいな思考だな」 七香「姑かぁ……悪くないよねぇ」 太一「なんじゃそら」 七香「太一」 声はずいぶん後方から聞こえた。 太一「?」 ありえない距離だった。三秒前まで併走していた七香だ。二十メートル。一瞬で移動できる距離じゃない。 太一「……」 七香「これが一番効果的みたいだからさ」 太一「ちょ、キミ……」 やっぱり。人じゃない。 七香「……祠、知ってるね?」 太一「祠って」 曜子『それと祠の情報で、だいたい把握できた』 関係がある。 七香「知りたいのなら、あっち!」 白い指先が俺をびっと指す。いや、俺の背後だ。学校。いや……山か。 合宿に行くときに使った山道がある。ほとんど獣道だが、山頂に出るにははやい。 その先には。 祠がある。 何が祀られていたのか、わからない。 古く、朽ちた、小さな祠だ。 かつて、まつろわぬ神を奉じていたかもしれないその場所に。 今は近寄る者もない。そこに何があるんだろう。些細な疑問を返すべく、七香に視線を戻す。彼女はいなくなっていた。自転車とともに。 太一「…………」 蝉も鳴いてない、静かな新学期だった。 田崎商店に……寄っていくか。 太一「む」 殺気。 店の入り口に張りつく。 中をうかがう。 敵か味方か。 太一「……やま?」 美希「……かわ。天上天下?」 太一「ワキガ独走」 美希「……どうぞ」 店の中に入る。 太一「美希か……誰かと思ったぞ」 美希「おはようございます、先輩」 太一「殺気などを出しているから」 美希「閉鎖空間でなにかあると逃げ場なくてイヤじゃないですか」 太一「もっともだ」 古い記憶に思いを馳せる。 太一「制服着てるってことは、学校に行くつもりなのかな?」 美希「そーです。他にすることないですし」 太一「同じか」 美希「ですねー」 無邪気だった。 太一「俺にも飲み物を」 美希「これなど」 太一「相変わらずのレアリティの高いドリンクチョイス、ありがとう」 知る人ぞ知るネー○ンだった。飲み干す! 一気にだ! 美希「賞味期限とか見ない方がいいです」 太一「ゲハァっ!」 気管に入った。 太一「げほっ、がほっ!」 美希「スマッシュヒット」 ポージング。 太一「……人をはめるな!」 美希「すいませーん」 にへらっとふやける。 太一「ケッ、このおぼこがっ」 吐き捨てる。 美希「二十歳までには捨てようと思います」 太一「そもそも二十歳になるな」 美希「え?」 太一「永遠の今でいろ」 美希「……できそうな気もしますが無理です」 だろうな。 いやそれよりも。 太一「で、誰にあげるの?」 美希「……え? うーん……ファルコン加藤」 太一「テクニック重視かよ!」 嘆いた。 日本有数のテクニシャンじゃねぇか。 ……勝てない。 太一「ファルコンには及ばないが、俺も技術には自身がある」 美希「先輩の技術はセクハラばかりで、本番で役に立つのかたいへん不安な面もございますので、申し訳ありませんがお断りだ」 語尾がタメ口になるほどのますらおぶり。その断りっぷりに、俺の心はブロークンがちだ。 太一「ちっ、そんなこと言って、本当は霧ちんに捧げようとしてるんじゃないか? この淫乱処女が」 美希「むしろ霧ちんの処女を奪います」 太一「あっ、ソレ参加したいっ」 欲望が多重化している俺の、ミーハー度は82%と高めだ。 美希「そんなわけで一緒に通学しましょー」 太一「うん、行こう」 手を繋いで二人で学校に。 太一「あおぞらのしたで〜♪」 美希「なかよくふたり〜♪」 のんきにデュエットしながら、のんびり登校した。 美希「…………あ、いけね。霧ちーの飲み物忘れました」 学校にまで到着して、そんなことを言う。 太一「愚か者め。修行が足りぬ」 美希「戻ります」 太一「好きなだけ坂をのぼりおりするんだよ」 美希「へーい」 軽快に駆けていく。 うい奴。 太一「……」 玄関に移動。 太一「んー」 やっぱつきあってやるか。 太一「……優しさだな」 男は優しさ。嘘でも優しく。 霧「……?」 霧がいた。 太一「おーい!」 霧「っ!」 ムッとした。刺々しい処女め。霧はあまりにも処女すぎた。 太一「どこ行くの?」 霧「……関係、ありません」 つかつかと去っていく。つかつかと追いかける。歩幅はこちらが大きい。労せず追いついた。 太一「美希と合流するんだ?」 霧「ついてこないでください」 太一「俺もこっちに用事が」 霧「……っ」 早足。 太一「〜♪」 俺も早足。口笛。 霧「…………っ」 歩調はアップしていく。追う。 霧「……もうっ」 霧は駆け出す。 反射的に、体が動く。 追い駆けっこ。 商店街を通過。 この先は坂道じゃないか! 霧「来ないでっ!」 太一「どうして逃げるんだ!」 霧「先輩がおっかけてくるから!」 太一「おまえが逃げるからだ!」 霧「ついてこないでーっ!」 来たぜーっ!! 太一「俺は、この、坂で、鍛え、られて、いるが、貴様は、どうかな!」 霧「はっ、はっ、はっ……はぁっ」 ふふふ。 もうバテバテかい。 しかも俺は恐怖によって一夜で白くなった髪のせいで、日差しに強い。 超有利と言えた。 坂を越えていく。 ひとつ。 霧「はっ、はっ、はッ!」 ふたつ。 太一「ほっほっほっ」 みっつ。 霧の速度が落ちた。 チャンス! 太一「おらおらーっ!」 霧「……くるなーっ!」 くっ、意外と底力がある。 長期戦になりそうだった。 太一「ここが俺ん家ーっ!」 霧「うるさいっ!」 駆け抜ける。 裏道をぐるっとまわって学校に戻るコース。 太一「ぐおおっ!」 貞操帯がすれてきた。 痛い! セクハラどころではない! だがセクハラ! 太一「互角ってわけか!」 闘志がわいた。 太一「ほっほっ」 太一「ほっほっ」 太一「ほっほっ」 学校IN! 太一「ほっほっ」 土足でGO! そのまま二年教室に。 ずたーん! 霧が締めた扉をあけて飛び込む。 後部のドアから出て行くところだった。 太一「ちっ」 駆け抜ける。 冬子「……ぁえっ!?」 太一「あ、いないっ」 左右どっちかに消えた! 太一「……くんくん。こっちだ!」 右からフローラル。 階段をかけおりる。 一階廊下。 霧の背中が見えた。 太一「わははっ、貴様のフローラルミントが命取りぃぃぃぃっ!」 霧「ちっ」 再び外に。 ちなみにもう一時間くらい走ってる。 これがっ、夏っ! 太一「ほっほっ」 美希「……あ、せんぱい……」 失恋し傷心の旅に出た美智子が乗った深夜急行の窓を時折寸刻の残像をともなって通り過ぎる白い駅標札を思わせて、美希をスルーした。 美希「ほあっちょー」 後方から声と。 太一「っ!!」 衝撃。 ずさー! 顔面スライディング。 美希「ひざかっくん。あははははは」 太一「あははははは」 太一「……うりゃ」 キスした。キス泥棒のようにだ。 美希「んむ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!?」 ドリル。 美希「んっ、んぶっ、ん、ぷぁっ!?」 バイブ。 美希「んっ、んんんんんっ、ちゅ、ちゅるっ、んぶぁっ、んっ、〜〜〜〜っ、んっ、んっんっって……れっ、ふぁ、んんーーーーーっ!!」 バキューム。 美希「んむむむむむっ、ふぁ、ふぁあんっ、んっ、んーっ、ゃんっ、い、息っ、息できな……んんんん〜〜〜〜〜っ、っ、れるっ、れるるっ、んちゅ、ちゅるっ、ぁ、あっく、ぁぉ、ふむぅぅぅんっ!!」 とどめにミキサー(美希なだけに)。 美希「んんっ、んーっ、んっ、うぅんっ、んっん、んぅぅ……れろっ、……あ、いゃ、ふぁ……ぺろ、んっ、くっ……だめえ、やぁ、んんんん、んんんんんんんっ、んっ、んるっ…ふぁ……、苦し、です……許ひて……ゆる……んんんんんんんんん〜〜〜〜〜っっっっっっ」 くてんと虚脱し、膝をついた。 美希「……ふひゅ〜……あふあふ……」 太一「ひざかっくん」 傲然と告げた。 追跡を再開。 しかし、美希め。 走る人間の膝をとらえるとは。 急激に成長している今日この頃。 美希「……ふぁ、ふぁーすときすがぁぁぁ……」 そんな声が背後から聞こえた。 自業自得である。 太一「ほっほっ」 エナジーを吸って元気が出た。 霧に距離をつけられてしまったが……。 この坂で、一気に取り戻す。 ダッシュ! ただし貞操帯を装備中ゆえ、がに股っぽさが付与されてしまう。 太一「霧、それでまいたつもりかー!」 霧「……うっ」 驚いてつんのめる。 霧「う、う……ぐす……ひくっ」 べそをかいた。 霧「やだ、もうっ……」 だいぶ疲労している。 足を引きずるようにして走る。 追いつくのに……十秒もかかるまい。 追いついてどうしよう。 考えてなかった。 感情のおもむくままに任せるしかない。 フラワーズ、ダブルファーストキッス強奪——— 邪悪な考え。 そうだ。それがいい。 俺がお花ちゃんたちを散らすのだ。 太一「クックック!」 もはやほとんど歩いている霧に、手を伸ばす。 刹那。 視界の端に、影が。 瞬間の集中力。スローモーに見える。 なんだこれは。 自転車。 自転車、だと。 七香「やーーーーーーっ!」 太一「ごあーっ!?」 地面に叩きつけられた。 薄まる意識。 遠のく霧。 七香「まったく……この子は……祠にも行かず全力で無駄なことばかり……」 ブツブツと呟いていた。 ……………………。 CROSS†CHANNEL 目を覚ますと自分の部屋だった。 太一「う、ううう……」 美希「おはようです」 太一「あ、美希りんだ」 美希「美希りんです。お邪魔してます」 太一「あれ?」 股間が物足りない。触れてみると、あの頼もしくほのかに痛い貞操帯の感触がない。プチ寂しい。苦楽を共にして、愛着がわきだしていたのだろうか。 太一「美希……さっそくですが俺が履いていたやつ……」 美希「なんかすごいの履いてましたねー」 太一「ハ、ハイテクブリーフさ」 嘘ついた。 美希「す、すごかー」 太一「暗いところではセンサーで自動的にライトがつくくらいハイテクさ。だからズボンの中では輝きっぱなし。サタデーナイトフィーバーだよ」 ハイテクブリーフのあまりのやんちゃ坊主な側面に、自ら苦笑してみせる。金のかかる愛犬を自慢するトップブリーダーのような顔つきでだ。 太一「だが妻には好評なんだ。シーツの中でも息子をさがしやすいってね!(米笑)」 ※米笑=アメリカ人風スマイル。アメリカ人は自分のギャグにセルフサービスで笑う力を有する。 美希「うはぁ、あだると〜」 太一「あれ、かわりの下着を履かされてる?」 美希を見る。赤面して、目をそらす。 太一「……き、きみ……もしかして……」 美希「は、はあ……先輩が道に落ちていたので……拾ったら……裾のトコからカラーンって貞操帯の破片が……」 貞操帯って知ってるんじゃねぇか!!俺は突っ伏した。 美希「それで先輩の家まで引きずって……」 うお、この全身の擦り傷はそのせいか! 美希「ズボン脱ぎ脱ぎさせたら……ポロリって」 なぜズボンを脱ぎ脱ぎさせる必要があったのだ! 美希「そこから三十分くらい記憶なくて……気がついたら学校の屋上にいて……」 太一「……」 記憶喪失して逃げ出すほど不気味だったのかよ。 美希「戻って、覚悟を決めて……この美希が一番似合うと思った下着を着用させていただきましたのであります!」 太一「……ほう」 ズボンの中を見てみる。ぞうさんパンツだった。 太一「似合うのか? これが一番似合うのか?」 フロント部分が袋になっていて、ぞうさんっぽさに磨きをかけているではないか。パンツと言うより竿カバーだ。 美希は恥じらう。 美希「そ、その……いっぺん殿方がそれを履いているところが見たかったのです! 満足です!」 俺は知らぬうちに美希を満足させていた。くそう……美希美希にいじられていたのか……。どうしてそこで目を覚まさないかなぁ、俺は。 美希「どうしました?」 太一「……自分に呆れて」 美希の顔に『?』が浮かぶ。 太一「ま、いいや。それより助かった。いかな俺でも、炎天下に倒れたままでは体調を崩してしまうところだった」 美希「いいえいいえ」 太一「なにか礼をしなければならぬ」 美希「先輩がのんびり暮らしてくれれば、それで満足ですから」 太一「美希……いいやつっ」 ひしっついでに尻を揉む。 美希「離れろや子象」 太一「はうっ!?」 男としてかなりの恥辱に見舞われた。 太一「そうそう、サンドイッチがあるんだ。ごちそうしよう」 美希「打たれ強い先輩も素敵です」 あまり冷たくはないが、飲み物も用意する。 太一「ちょうど昼だしね」 美希「わあ、いただきますっ」 飛びついた。 むくむくむく ひたむきに食べる。 美希「むぐむぐ……新鮮な野菜が……むぐ……使われていますね」 太一「うむ」 美希「どうも手近なもので済ませてしまって……」 太一「野菜もとらねばよ」 美希「そーなんですけどね」 そういや、曜子ちゃん昼に戻ってくるとか言っていたけど。 もう来てたりして。 ありえた。 背後! ……いないか。 太一「けど……どうなってんだろうなぁ、この世界は」 美希「むぐ?」 太一「人がいなくなってるし、かといって死体があるわけではないし。動物もいなくなってるし。こうして生きてるってことは、体内の微生物まで死滅してるわけではないみたいだけど……都合の良い滅亡もあったものだ」 美希「…………」 反応がない。 太一「美希? 聞いてる?」 美希「あ、はい……あまりのうまさに我を忘れてて……」 太一「飢えっ娘かおまえは」 美希「その、野菜のやつもらっていいですか?」 太一「どうぞどうぞ」 美希「野菜を食べて便秘と無縁の人生だったらよいのにー♪」 太一「少しは恥じらえ、娘……」 気心が知れているのは良いのだが。 美希「で、なんでしたっけ?」 太一「人類死滅の謎を追っていたトコ」 美希「遅すぎたんですよ、わたしたち」 太一「……俺は、そうは思わない」 美希「そうなので?」 太一「人類全員、アブダクションされている最中かも知れないジャン?」 美希「……先輩はやっぱり頭いいなあ」 太一「ははは、そう誉めそやすなよ。美希ちんはくじけてないよね」 美希「あはは、のーてんきです」 太一「適応係数って訊いていい?」 美希「40くらいです」 太一「ぼちぼちだね」 美希「社会生活に影響ないですし」 太一「昔からそんくらい?」 美希「はい。子供の頃から」 太一「なるほど、それで群青送りになったか」 美希「……人にちょっち怪我させてしまったりで。ロリ時代ですけど」 太一「あーロリねー。いーなーロリ。その時代に会いたかった」 美希「写真ありますよー」 太一「……いくらだ?」 美希「リ、リアルな顔になってるんですけど……」 太一「リアルに欲しいからな。いくらだ?」 美希「……カ、カンガエトキマス」 怯えていた。それも一瞬。 美希「そういえば……唇……奪いましたね?」 声が低まった。 太一「う……ああ、あの件ね。いや、あまりに絶妙のタイミングでキックが入ったから、ちょっとヒートしてしまって」 美希「ファーストキスだったのに……」 太一「そ、そんな気はした。しかし美希があまりにも鋭い攻撃を放ったため、俺の心はホット入ったのである」 美希「うううぅー」 しばらく美希はうーうー唸っていた。 美希「……犬に噛まれたものと思って諦めるしか……」 太一「そ、それがよい」 さっと顔を上げる。 美希「それかこのカメラの内容を公開してウサをはらすか」 太一「そ、それは使い捨てカメラッ!?」 美希「そこは驚くところでは……」 太一「うん、そうだね。間違えたよ」 太一「何を撮ったんだ?」 美希「先輩のぞうさんです。24枚撮りきりました」 太一「なんだってぇーっ!!」 美希「掲示板にぃ、貼りだしちゃおうかな〜、そ れ と も、ばらまいちゃおうかな〜♪」 太一「や、やめておくれ、それだけは」 美希「んー、ファーストキス奪われちゃったしなー。やっぱ公開かなー」 太一「お慈悲!」 美希「わたしの言うことを聞きますか?」 太一「ききますききます」 揉み手で。 美希「じゃあ言うことを一つきくごとに、写真を一枚ずつ返してあげましょう」 太一「そんなエロゲみたいな要求にも、この黒須太一、唯々諾々と服従いたす所存」 美希「ふっふっふ〜。とりあえず霧ちんをいじめるの禁止ー」 太一「ははーっ」 美希「愛あるセクハラもですよ」 太一「ははははーっ」 頭を下げた。主従が逆転してしまった。そんなわけで、学校にやってきた。 美希のおつきとして荷物持ちをさせられている。 太一「さて、来たのはいいけど、どうすべー」 美希「あ、あっしはここで霧と合流しますんで」 太一「あいよー」 鞄を渡す。 美希「ついでにこれも現像します」 カメラを取り出し、不敵に笑う。 太一「……ううっ、俺はおまえの愛奴隷だぁ」 美希「ではでは」 軽い足取りで去っていった。 さてと……。 結局、学校に来てもやることはない。 帰るか。 けど……こんな悠長なことでいいのかな。 世界、滅亡しちゃってるのに。 太一「……」 俺は何をすべきなんだろう。何ができるんだろう。壮大な謎はいいけど、解く手がかりさえない。 太一「……ん?」 ないこともないのか。 祠——— 七香も、曜子ちゃんも言っていた。 祠ねえ。 暇見て、行ってみるのもいいかもな。 美希「たいちせんぱい」 太一「んお、美希か」 霧もいた。敵意むんむん。 太一「霧、疲れてるね」 霧「……誰のせいだと……はぁ」 ぐったりしていた。 美希「新学期初日から仲悪すぎる二人のため、この美希めが一計を」 太一「悪くないよ、別に」 霧「悪いです」 きっぱり。 太一「うーん……じゃ、やっぱり仲悪いということで。どうするの?」 美希「部活です」 太一「部活? 友貴がやってるアレ?」 美希「いえ、部長先輩の方のです」 太一「……ああ、そっち」 日曜夜。 人類の形跡がなくなった世界で、俺たちは方針を決めた。 様子見——— 関係が断たれた者同士だ。 他に道はなかったろう。 その中で、友貴は食料の確保と配給、みみ先輩はアンテナを使ってSOSを出す、という計画を立てた。合宿の結末は口論に彩られ、皆疲労していた。 だから二人に賛同する者はいなかった。正直、最近の先輩は少しノイローゼ気味だった。俺が無理を言って強行した合宿が、そのトドメになった。 ……申し訳ない気持ちはあった。話しかけづらいという気分も等しく。 美希「命令です。仲良く部活をすること」 太一「……わかった」 まあ、いいか。異存はない。 美希「霧ちんもね!」 ばし、と背中を叩く。 霧「わかってるってば……」 コイツも弱みを握られているのかな。 美希「言うこときかないと……あの写真を張り出しちゃうぞ?」 霧「ううう……それだけは……」 やっぱり。 太一「えと、屋上行って、手伝えばいいのかな?」 美希「そーです。穏やかに、荒ぶることなく」 太一「頑張るよ」 霧「トイレ……」 美希「あ、こら」 霧は女子トイレに入った。美希が追う。俺も追う。 美希「……なにげなく入らないように」 押し出される。トイレと廊下の境界線で、俺と美希は分かたれた。 美希「悪い癖が出ました。霧ちんは嫌なことがあると引きこもるのです」 太一「さすが多感な十代」 美希「そういうわけで先に行っててください」 太一「うむ。では美希にこれを授けよう」 取り出す。 美希「これは?」 太一「小型のショットドライバーだ」 万年筆を半分に切ったほどのツール。 太一「ピッキングツールだ。役に立つぞ。小さいが耐久性がなくて、シアラインを揃える時にプレートが欠ける可能性がある。要注意だ」 美希「……なぜこんなものを」 太一「趣味だ。普通の鍵なら慣れれば30秒かからない」 美希「そうか……こんな技術があるから……どこに隠れても無駄だったのか……」 小声。 太一「え、なに?」 美希「いえー。とりあえずお借りします。いらないんですけどね…… ちなみにキーピックは得意なのですか?」 太一「無意識でもできる」 美希「アカン……この人……」 太一「じゃまたあとで」 屋上に向かった。扉を押し開ける。抵抗があった。向こう側から押さえられている。強く押す。扉の向こうで、小さな乱気流が霧散した。 風だったのだ。 アンテナ。 それなりに形になっている。指向性や波長など、いろいろな調整が必要だ。が、そういう知識は俺にはない。先輩も詳しくはなかったが、勉強したらしい。 その先輩だが……いない。 工具。 脚立。 書物。 風で飛び散った、菓子パンの空袋。 作業をしていた痕跡だけが残されている。24時間作業しているわけでもないのか。 アンテナを見あげた。 周囲が開けていて、背の高い建物。電波を飛ばすには、うってつけの環境らしい。コミュニティFMという、地域密着型のラジオ放送がある。本来、学校の部活でやるほど敷居の低いものでもない。 が。立地と、群青学院のなりたちと、地元有志の善意溢れる意向。そういったものが、今回の話に結びついた。準備が進められていたが、とあるやむを得ない事件によって、うやむやになっていた。搬入されたアンテナは、一年、そのまま放置されることになった。 そんな事情があるのだった。 おそらくFM群青に求められていたものは、健気に生きる少年少女たちの希望に満ちた愛コンテンツ、だったのだろうけど。ごめん、そんなものは群青にはありません。結果オーライだと言える。 見里先輩は、SOS計画を立てた。 日曜の夜に彼女はそう言った。人類が消失してしまったことを、手分けして確認してからだ。高所にアンテナがあるのだから、完成させて発信してみようという試みは……いかにも現実味が乏しい。正直、先輩はほつれてしまった、と思った。 逃避は次第に人を弱くする。そして先輩はもともと十分に弱かった。 見里「ぺけくん?」 背後。 向き直る。 太一「はろーです。先輩」 見里「はろーです……えーと、どうしました?」 太一「様子を見に来ました」 先輩はふんにゃりと微笑む。 見里「そうでしたか」 太一「しばらく来てなかったんですけど、だいぶできてますね」 見里「けっこう前からコツコツとやってますから」 そう。 放送部が自然崩壊してからこっち。先輩は一人ですべてをこなしていた。昼休みのDJ。各種放送。 すべて。 誰も手伝わなくなった。 霧は俺を敵視するようになり、 友貴は姉を避けるようになり、 美希はおろおろと苦笑い、 冬子も俺を無視しはじめ、 見事、瓦解。 桜庭だけがいつもと変わりなかった。 変わりなく、サボっていた。 俺はそれでも先輩の周囲をうろちょろしていたけど。 彼女の方が、手伝いを拒んだ。 太一「……そうでしたね」 見里「びっくりしましたねぇ、それにしても」 太一「ですなー」 見里「人が一斉にいなくなるなんて」 太一「静かですよね」 見里「すごくすごく静かです」 太一「どこ行ってたんです?」 見里「ちょっと……おなかがすいたので」 太一「昼ですしね。うまく食料見つけられました?」 見里「ああ、家に戻ってました。食べ物は特に不自由してないですし」 太一「あー、学校サボリー。部長がさぼりー」 見里「ち、違いますよっ、これはさぼりではありませんっ」 焦る。 規則重視の人なのだ。 太一「停学、停学です」 見里「停学はいやー、履歴に傷がー」 太一「停学! 停学!」 見里「停学はだめですー」 二人ではしゃいでいた。これが今の俺たちの、最短距離だった。 美希「どーもー」 ほどなく美希は来た。霧を連行して。 見里「……山辺さん?」 美希「山辺美希です。来ました。ほら、霧ちんあいさつ」 霧「……ども」 美希「声が小さい。聞こえないよ!」 霧「……ど、どおも!」 美希「どうもじゃありません。おはようございますでしょー!」 霧「ぉ、ぉはょぅござぃます」 美希「『お』と『よ』と『う』と『い』が小さかった。もう一度!」 ぺしーん、と尻を叩く。 こまけぇー! 霧「きゃっ……たたかないでよぉ……」 霧は尻に敷かれていた。俺も敷かれたい。 霧「お、おはようございます」 ぺこりと頭も下げる。 美希「うむうむ」 美希ちんはやるときはサドだった。 太一「なんだその辞儀はぁ! 角度が四度も足りてないじゃない———か———」 目にも留まらぬ速さで足が飛んで来た。 美希「……繊細な霧ちんに多大なストレスかけてますから、つつかない方がいいですよ」 太一「先に教えて……」 ダウンした俺に、美希は教えてくれた。 見里「あのぅ、お二人ともどうしたんですか?」 美希「部活に参加しにきました」 見里「あ、でも……やっていただくようなことは……」 美希「参加しにきました」 見里「あの、その、でも今までずっとサボって……」 美希「参加しにきました」 見里「わたし一人でやろうと思っていたので、皆さんに来てもらわずとも……」 美希「参加しにきました」 先輩は断ろうと必死だ。やはり部活は逃避目的だったか。 太一「予想通りだ」 俺の人間観察力は今、限りなく神に近い。 美希「部活に参加しにきましたー!」 そして美希は押せ押せだ。 見里「ええと……うーん……」 太一「現実から目を反らしてもしょうがないですよ。もう僕らはここで朽ち果てるしかないのですから、諦めて今を楽しみましょう!」 見里「もー、ほんとうにぺけくんったら」 にこやかに。しかし強力に。 美希「さー、ご命令を」 見里「ええとぉ、困りましたねぇ」 美希「えへへ」 見里「……佐倉さんもご一緒なんですか?」 霧「わ、わたしは……美希に強引に……」 美希「もてあます性欲」 ぼそっと。 霧「参加させてください」 背筋を伸ばし、霧は言った。 見里「……はぁ、しょうがないです。じゃあ……手伝ってもらいます……」 美希「わーい、学園青春劇ー! ……霧ちん?」 霧「……わ、わーい……がくえんせいしゅんげきー……はぁ」 見里「しかしまたどうして突然……」 美希「美希なりの試行錯誤の結果です。まあ、お気になさらず」 太一「……決まりだね」 見里「あなたまで参加するわけですね」 太一「すいません……だって美希が……」 美希「……かわいいぞうさん」 ぼそっと。 太一「自らの意志によってです、閣下」 敬礼して告げた。 見里「あのぺけくんが、軍人のように!?」 太一「何をおっしゃいますやら。黒須太一、プロイセン精神を忘れたことは一度もありません」 見里「典型的なモンゴロイドじゃないですか」 太一「なにせ日本プロイセンですから」 美希「日本アルプスと似たようなものですね」 太一「仰せの通り」 美希「先輩も霧ちんも、ちゃんといい子にしてますから、バンバン使ってあげてください」 見里「……そうですね。こうなったら、も、めいっぱいお願いします」 美希「とりあえず重くて持ってこられなかった必要なものを運ばせようかと」 小悪魔……。 霧「……重いの持てないのに……」 霧も泣きそうだった。 とりあえず。 祠行くの中止……。 数時間後。 部活が終わった。 校舎を出て、屋上を見上げる。 アンテナの先端が見えた。 その隣。 先輩はまだ、そこにいた。 太一「……」 部活に励む。 いかにも学生らしい。 けどその健全さが、逃避として作用することもあるはずだ。 ともあれ。 太一「……ほ」 疲れた。 霧「……ほ」 ご同様、か。 美希「充実した一日だったぁ」 そりゃそうだろうさ。人を使役するだけしておいて。自分は指揮者さながらタクトを振って、と。 太一「じゃ俺こっちだから」 歩き出す。 霧「……じゃあね、美希」 美希「うん、バイバイ」 背後から足音。 美希「商店街まで一緒に帰りましょうですよ」 美希が並ぶ。 太一「しょーですよー、ごじゆーにー」 疲れていた。 美希「いやあ、現像できましたよ、アレ」 部活中、美希は写真部の部室でそれをしていた。 太一「……よく考えたら見せる相手って八人だけじゃないか。俺と君を抜いたら六人だ」 美希「霧ちんと同じことを言いますね。じゃ、部活やめます?」 太一「……ま、ここまでつきあったし。好きにすれば」 美希「えはは。せんぱいは力持ちですねー」 太一「そう?」 美希「男の人がしゃきしゃきもの運ぶのは見てて楽しいです。部活にかりだした甲斐がありました」 それだけのために……。その働きぶりまことに天晴れ。田崎商店でジュースおごってあげます」 太一「ハ、ハ、ハ。どうもありがたう」 顔が引きつってしまうな。この娘は……。 太一「ま、やることがあった方がいいか」 美希「ですです」 太一「細かいことはゆっくり考えればいいしな」 美希「……今週は学園青春ドラマといきましょう」 太一「来週は?」 美希「んー。人類生き残りを求めて男女八人の旅……ですとか」 太一「そらおもしろいな」 こんなご時世だ。八人が0になるまでは。 太一「けど、俺はここで普通やってるのがいいなぁ」 人類の意地をかけて、平常でいてやるのもいいだろう。 美希「……なるほど」 ついた。美希は本当におごってくれた。 太一「本当に、普通の日って感じだな」 美希「はい♪」 夕日が空に照りはえる。今が、人類の斜陽だと思い返させた。 て、帰宅と。 太一「ふう」 誰もいない。睦美さんの姿はない。早帰りの日は、暖かく出迎えてくれて。夕食作ってくれて。机を料理で一杯にするのが好きで。 男性的な料理。仕事柄だろうか。豪快で、パワフルで。冗談を言い合って。 いい人だったな。 けど今、机の上は虚ろにたいらで。料理が湯気を立てることはない。 太一「……腹減ったな」 田崎商店からカップラーメンを持ってきた。 食うか。 うお、電熱器がつかねぇ。 庭にはちょっとしたパーティー用のスペースがあり、そこで湧かしてもいいのだが。 太一「めんでぇー(面倒だ)」 そのまま食うことにした。 バリバリ(麺) ごくごく(水) バリバリバリ(麺) ごくごくごく(水) バリバリバリバリ(麺) サクッ……(乾燥メンマ) 太一「……虚しくなってきた」 俺は本当に食事をしているのか。やっぱ人類滅亡きっついわ。いろいろ不便だもんな。蝋燭に火をつける。 日記をつけることにした。 なんかヘミングウェイっぽいし。 日記に使おうと大学ノートを探すが、どこにもなかった。 太一「ん?」 確か何冊か買い置きがあったのに。 太一「んー」 金庫の中か。一応調べてみる。 金庫には、基本的にエロ本を収納してある。 耐火金庫なので、家事になっても俺のエロスは保たれるって寸法さ。 調べるため、金庫をあけた。 ……………………。 三十分後、金庫を閉じた。 ここにノートはなかった。 太一「ふぅ」 いかん、無駄に時間をロスしてしまった。 まったくもう……この金庫の中身と来たら……フフフ。罪深い桃色小空間め。 さて、ノートはどこに行ったのだろう。心当たりがない。 記憶喪失か。 太一「いよいよ俺も主人公っぷりに磨きがかかってきたようだ……あ、そだ」 曜子ちゃんにもらったノート。 ベストタイミングだ。 ……なんか神がかってるな、彼女。 シュリンクをペリペリはがす。 さて、書くか。 太一「……」 ペンがないぞ。見あたらない。 太一「金庫の中か?」 再び金庫をあける。ペンを探すために。 ……………………。 四十五分後、金庫を閉じた。 ペンはなかった。 愛があった。 太一「……ふぅぅ〜」 せっかく急いだのに、連戦しちゃあ意味がないよね♪小憎らしい誘惑夢小箱め! ペンは机の横に落ちていた。 日記を書く。 辞書が欲しくなった。 ところが辞書がないのだ。 太一「……」 金庫をあける。 ……………………。 一時間二十七分後、金庫を閉じた。 太一「……ふ」 ハッスルしすぎ、俺。 究極抱き枕(商品名)は、どうも具合が良すぎてイカン。 もう十時を過ぎていた。 太一「うおっ!?」 特大の蝋燭もとうに消えていた。しまった、虚脱に時間を割きすぎた。 だから抱き枕系のジョークグッズは……。 と、日記を書かねば。 新しい蝋燭をつけて、ノートに立ち向かう。 CROSS†CHANNEL 目を覚ます。 陽光が窓を貫いていた。 熟睡していたらしい。夢一つ見なかった。 時間は……7時。 学校に行く必要などない。 けど、体は動いた。 朝食の用意はされていない。 当然か。 美人でキャリアな睦美おばさんは料理もうまいが、もういない。 引き取ってくれたこと。 曜子ちゃんとのことを、穏便に取りはからってくれたこと……。 感謝はいくらでもできた。 孝行する前に、消失してしまった。 この家にまともな食い物はない。 水だけ飲んだ。 この道で、よく遊紗ちゃんと出会った。 よくなついていた。 こそばゆい、存在だった。 今の俺ができるまで、俺もいろいろ苦労している。 遊紗ちゃんの存在は、よく俺を癒してくれた。 そんな彼女ももういない。 桜庭「よう」 桜庭だった。 太一「よう」 桜庭「腹が減った」 太一「俺もだ」 桜庭「おまえもか」 太一「そうだ」 桜庭「切ないな」 太一「ああ、切ない。こんな時、俺は一般家庭に突入する」 手近に民家に突っ込む。戻ってくる。 太一「大漁だったぞ」 保存食がたくさんあった。 太一「見ろ、カンパンだ。しかもこんぺいとうが入ってるやつだぞ」 桜庭「……ぐす」 桜庭は鼻水を垂らしていた。 太一「……避難していて正解だったようだ」 桜庭「ティッシュを所望したいところだ」 太一「ない」 桜庭「……ん。なら仕方ないな」 そのまま歩き出した。つらら状に垂れた鼻水が、軽妙に左右に踊る。 太一「仕方ないで済ますな!」 ハンカチを出す。 桜庭「……すまん」 太一「返すなよ。絶対に返すなよ? やるんだからな」 桜庭「借りが出来た」 太一「それは返せよ」 桜庭「うむ」 廊下に霧が立っていた。 太一「霧ちん……」 キッ、とにらまれた。負けじと俺もにらみかえした。 ババババババババッ!!(心理効果) 視線の応酬。 圧力ある敵意が、衝突しあって中間地点で渦を巻く。 小娘めっ!!懐に手を入れる。得物を取り出すぞと言わんばかりに。実際は乳首が痒かったからだ。 霧「……ッッ!」 霧は過敏に警戒した。すっと、ポケットに手を入れる。ヤツも得物をっ! 太一「く」 俺は懐に手を入れたまま、さらに眼力を強めた。 バチバチバチバチバチッッッ!! 向こうもポケットから手を出さない。 膠着状態。 クイック&ドロウ。 先に動いた方がやられる。そこに手をふきふき、美希が出てきた。トイレから。 美希「わーーんっ、トイレしてた隙に修羅場になってるーーーっ!!」 太一「今助けてやるからな美希!」 美希「囚われている設定になっている……」 霧「さがって、美希」 美希「いや、だから……」 霧が腰を落とす。 太一「……フッ」 俺は肩の力を抜いた。 手も抜く。 霧「……っ」 空手だ。 ひらひらと、無防備な様を示す。 太一「ハッタリのかましあいはここまでだ、霧ちん。こちらは武装していない。そちらも無意味な虚勢はやめたまえ」 たまえ、とか言ってる俺はどこまでも格好いい。純愛貴族の異名は伊達ではなかった。 霧「…………」 霧は手を抜いた。 クロスボウが握られていた。 太一「……にゃ?」 バックマスター社製マックスポイントクロスボーーーーーーーーっ! 太一「待て待て待て待て。今のはおかしいぞ! そんなサイズのものがポケットに入るわけないだろ!」 霧「…………」 無言でクロスボウを構えている。スコープの向こう、霧が俺の心臓を狙っているのがわかる。ひしひしと視線を感じた。 太一「ブリキロボがあれほど欲しがっていた心を狙っているっ!?」 霧「動かないで下さい。撃ちますよ」 美希「あわわわっ」 ミキミキも動転。 太一「降参降参!」 両手をあげる。 霧「あ、狙いやすくなった……」 さらに狙いを定めた。 太一「ノー! ノー! ヤメテー!」 ぶんぶんとクビを振る。泣きそう。というか泣いてる。 美希「霧ちん、霧ちん! マズイよ、逮捕されちゃうよ!」 霧「警察もういないし」 美希「あっ、そうか。ぽえー……」 大人しくなった。 太一「納得しないでー!」 霧「膝を突いて、手を頭の後ろに」 太一「はひ」 従う。 霧「……次、どうしよう?」 美希とひそひそ会話する。俺には聞こえる。 美希「武装解除は?」 霧「何も持ってないみたい」 美希「……」 思案。 美希「じゃあ、こんなのはどう?」 囁く。 霧「……わかった」 霧は頷く。クールに見えて、実は美希にべったりなのである。だから言いなり。そこに活路はあった。 ミキミキのことだから、長年可愛がってきた俺をうまく逃がしてくれるに違いない。 霧「這いつくばってワンと鳴いてください」 太一「ミキミキーっ!!」 美希「にしし」 邪悪な笑み。この俺が、セクハラの仕返しをされている。 霧「はやく」 太一「ぐ、ぐう……」 やむなし。はいつくばる。 太一「……わん」 美希「やる気が感じられなかったのでリテイク」 太一「ぎゃー!!」 恥の上塗り。基本といえば基本だが。自分がするのはつらかった。 霧「リテイクです、先輩」 太一「ワン、ワンワンワン!」 太一「これでどうだ文句あるか!」 美希「誰が四回も鳴けと言った、って」 太一「オイ!」 霧「誰が四回も鳴けといいましたか?」 太一「OKわかった。さあ、どの靴を舐めればいいんだ? ん?」 美希「ためぐち?」 太一「舐めさせていただきたく、姫君」 額を床につけた。 美希「靴が汚れるのでいいです」 太一「ゥオイ!」 美希「……さあ、次はヌードショウですよ〜」 美希が、美希が悪魔にっ! 美希「下を脱ぐのです」 太一「いやー、カラダはいやー!」 美希「命と貞操と、どっちが大切なんですか、先輩?」 強者のおごりに目覚めつつある美希だった。 太一「ひーんっ」 パンツ一丁になる。 霧「な———ッ!?」 霧が戦慄する。 霧「なんて下着を……」 俺は昨日、美希に装着された(履かされた、よりしっくりくる表現)ぞうさんパンツのままだった。 美希「あれ? 先輩おふろ入ってないんですか?」 太一「うん」 美希「きちゃなーい!」 霧「不潔……」 くっ、衛生的な小娘どもめ。そろって人を責め立てる。 美希「夏場なのですよ?」 霧「……人格がアレだと、身だしなみもアレに」 太一「汚いヤツは罪人扱いですか」 霧「ここで始末しておいた方がいいのかもしれない……」 太一「待てや!」 美希「むー。先輩のカブはおおいに下がりましたよ」 太一「一日だけじゃん? 二日にいっぺん入るよ?」 霧「何もわかってない……」 美希「毎日入らないと並以下なんです」 太一「えっ、そうなの? 曜子ちゃんそんなこと言わなかった……教えてくれなかった……」 こういうことは、同世代の友人間で情報を交換しないと独自性が保持されたまま成人してしまうことも多々あるのだ!普通の人、というのは大変難しいことなのだ! 美希「どうする、霧ちん」 霧「やばいよ、美希」 美希「うん、やばいね」 示し合う二人。 霧「おかしいとは思っていたけど、まさかこれほどまでとは……」 美希「やるしかないんじゃないかな、これ」 霧「仕方ないけど、そうだね」 美希「だってこの人と部活しないといけないんだから」 霧「ん。どこでやる?」 太一「『やる』って何の相談してるの?」 二人は無視して、話し合っている。小声。断片的に聞こえる。 美希「人目につかないところ」 霧「ひっそりと」 美希「強い薬で」 霧「ひと思いにやれば」 なに話し合ってんだコイツラは。 太一「……やばそうな雰囲気……」 逃げようかな。 霧「動くな!」 太一「ひぃっ?」 ダメだ。逃げられない。これ以上、霧を刺激するのもまずい。 美希「先輩、あなたの処遇が決まりました」 太一「……ズホン履いていいかな?」 美希「だめです」 太一「鬼か」 美希「我々に同行してもらいますよ」 我々とか言う美希。 太一「わかった……だがたかが風呂に一日入らなかったくらいでこの仕打ち……」 美希「ありえません。だいたい先輩は何の取り柄もないんですから、清潔にするのはもはや義務ですよ。けど先輩は怠った」 霧「あなたは異常です……いろんな意味で」 異常者扱い。 美希「行きましょう」 連行された。 連行された。 で 太一「……え、なにされるの俺?」 めっちゃ不安。先輩はまだ来ていない。助けてくれる人は誰もいないということだ。美希がプレハブからホースを持ってきた。 霧はクロスボウで俺を監視している。 美希「せんぱい、服脱いで」 太一「この上さらに」 霧「……」 チャキ、とクロスボウでスナイプされる。 太一「……ハヒ」 脱ぐ。シャツを脱ぐ。 もう限りなくぞうさんパンツだけの俺だった。 太一「……これも、か」 美希「うーん、まあそれは勘弁してあげます」 そして美希は、ホースに装着されたホルダーの弁を解放した。 美希「じゃー!」 強烈な水流が、俺を襲う。 太一「うぷっ」 美希「そらそらー」 こういうことか。強制クリーニング。ああ、せめて強制性感マッサージであったなら。 美希「霧ちん、薬を!」 霧「OK」 霧がなにかを射出してきた。 太一「うっ、こ、これは?」 むっとするシトラスミント。ボディソープか。ボトルを握って、俺に浴びせかけてくる。 美希「そしてそして」 二人はデッキブラシを持って……デッキブラシっ! 美希「いけーーーっ!」 霧「えいっ、えいっ」 俺は甲板のように洗われる。 太一「いててててててててっ!?」 ちくちくする! ちくちくするよ! 太一「俺は甲板じゃないぞ!」 くそう、これも朝からカンパンなんて食べたせいか!世界ギャグか。 美希「ソープ、ソープソープ!」 霧「ソープ、えいっ!」 ソープ連呼。ちょっとドキドキ。俺は、おまえらを、ソープで、ソープに、ソー婦に……。再びデッキブラシ。苦痛に慣れると、どうでもよくなってきた。むしろ、ちくちくとした感触が清々しくさえある 霧「み、美希! ぞ、ぞうがっ!?」 美希「う、うわーーーーーっ!? ぞうがいなないたーっ!」 放水。 霧「変態! 変態!!」 太一「こ、これは刺激を受けたからで……しかたな……うぷっ」 美希「ごしごしごしごしーっ!」 ムキになって擦ってくる。 霧「きゃあっ、取れたよ、ぞう!」 水流で取れてしまった。 美希「アトミック雑貨で買ったぞうカバーがっ!?」 やはりアトミック雑貨か……。あの店主(女性・美人・25歳)、自身も変態だから見境無く売るな。 美希「見て霧ちん、まるで別の生き物のよう!」 霧「見ちゃだめ! 目が腐る!」 おまえら小学生か。 美希「ぎにゃー、今ぶるんってなったー!?」 霧「きゃーーーーーーーーーーーっ!!」 逃げ出す。全裸で一人残される俺。 太一「……フ」 目尻に涙。 見里「ふぁー、さて今日も頑張って……ん? きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」 あの反応、処女だな。 太一「フ」 ほろ苦ぇ……。 太一「うっうっうっ」 泣いておくことにした。ばさっそんな俺に、バスタオルがかけられた。 美希「……いやー、逃げちゃいました、すいません。乙女には刺激強すぎましたね。はいコレ」 新しい下着と、制服。 太一「うっ、美希……いいやつ」 着る。 美希「きれいになったし、バッチリですね」 太一「全身ヒリヒリするけどね」 美希「霧っちー、みみ先輩、終わりましたよー」 霧「……本当〜?」 怯えながら出てくる二人。 美希「ということで、部活しましょ」 にっこりと、笑った。そして俺たちは部活に励んだ。ああ、こんな簡単だったんだ。結束って。俺が苦労して実施した、合宿はなんだったのだろう。やり方が悪かったのか、強引すぎたのか。人はどうやって触れあえばいいのか。 わからないことだらけだ。 さて。 教室には冬子がいた。杖に突っ伏して寝ている。ずっとここで座っていたのか。みみ先輩や友貴みたく部活に逃げることも、俺のような安堵の日々も、曜子ちゃんのような鉄壁なエゴさえもない。冬子には逃げる場所がないのかもしれない。 それは……前も同様だ。人類滅亡前の世界でも。冬子は一人だった。ずっと虚勢を張って生きてきた。 だから一度ほつれると脆かったんだ。 近寄って、声をかける。 太一「冬子」 冬子「……」 太一「とーこ」 冬子「……うぅん」 身じろぐ。だが起きない。 太一「サンドイッチ食べるか?」 冬子「……食欲、ないから……」 呼吸が、すぐに寝息に戻る。 太一「そうか」 心なしかやつれている。ちゃんと食べてるのか、コイツ。ポケットからあめ玉を取り出し、机の上に転がした。 となると。 一年教室に行ってみる。美希と霧がいた。 太一「……食い物ありませんか?」 美希「残念ながら」 太一「その弁当……?」 ライス。ミートボール。 太一「お、おい、なぜそのようなものが……?」 美希「霧ちんが作ったのですよ。飯ごうとかで」 太一「うわ、いいなあ」 霧「……先輩の分はありません」 きっぱり。 太一「かなり分量があるじゃないか」 美希「多いですよね」 明らかに三人分はありそうだ。 霧「しかしなぜか先輩のはないんです」 太一「……むぅ」 イノセンスが唸る。 太一「じゃー物々交換しよう」 美希「トレードですな」 太一「あめ玉とグミキャンディー。手作り」 二人の目の色が変わった。 美希「てづくり?」 太一「んー。曜子ちゃんがだけど。シュガー控えめ、美容健康にいいらしい。グミはこんにゃくだね。0カロリー」 二人「0カロリー!?」 ……………………。 太一「わーい」 交換成立。 美希「ママの味がする……」 霧「するね」 美希「ミルクだね」 霧「だねー」 太一「ストーカーの味だけどね」 美希「ほっぺが……わらひのほっぺが……」 霧「ん〜〜〜っ」 女の子だなあ。おかげでライスにありつけた。やっぱ日本人だから。 太一「うまい……霧ちんは料理の才能がある」 霧「……おかずはレトルトなんで」 太一「でもうまい」 霧「作らないと、美希がいつまでもお菓子を」 美希「お菓子好きだもん」 太一「お互い食事には苦労しているようだな」 美希「ええ……」 太一「霧ちん結婚しよう」 霧「不可能です」 美希「いやです、じゃなくて不可能らしいですよ、先輩」 太一「……燃えてきた」 霧「水かけますよ?」 太一「またか」 美希「お菓子はもっとあるのですか?」 太一「あるよ。ビスケットとか、サブレとか。曜子先生はお菓子作るの得意だから」 美希「へー、意外」 太一「いい保存食になるらしい」 霧「……恋人、なんですよね?」 太一「え、俺と曜子ちゃんが?」 美希「それは美希も気になりすぎてました。食事も手につきません」 太一「……ほっぺたパンパンじゃねぇか」 美希「むぐ」 真夏の食い溜め娘が。 太一「いや、一緒に暮らしてただけだよ」 美希「同棲」 霧「同棲」 二人はハモった。 太一「違う。同棲とは違う。ええと、要するに俺たちは親がいないから、二人とも睦美さんに養ってもらってたんだよ。あ、これは俺の保護者ね。姉弟みたいなものと言えばいえるけど……俺はそう思ってない」 向こうもそう思ってないし。だから追い出されたし、曜子ちゃん。 美希「へー、初耳」 霧「……あやしい関係だと思っていたのに……」 いや、実際あやしいです。 太一「まー、そこはホレ。血縁ではないし」 美希「支倉先輩も謎が多い人ですよね」 太一「まったくだ。さあ、特別に千歳あめをつけるから、みんなで七五三気分に浸ろう」 美希「わー、ちとせあめだ!」 霧が取り上げる。 美希「うおー、何するだ!」 霧「お菓子だけじゃダメ」 美希「自分だって食べてたくせにー!」 霧「ちゃんとごはん食べる。健康管理、これからは自分でしないといけないんだよ?」 美希「……へーい」 うーむ。 霧「なんですか? いやらしい目でじっと見て……」 太一「いやらしいって言うな。いや、いいコンビだなって思って」 美希「お花ちゃんたちですから」 太一「デビューさせてやりたいくらいだ」 美希「今デビューしてもなぁ……」 霧「最高八枚までしか売れないね。CD」 美希「ミリオンは夢のまた夢」 霧「じゃあわたし、二枚買ってあげる」 美希「じゃこっちも二枚買う」 霧「十枚だね」 美希「うん、十枚。二桁」 くすくす笑う。ほんと、仲睦まじい。その様子は、俺をほんの少しばかり、潤した。 部活。物陰から美希が飛び出た。俺の目は逃さない。手にしたウージーサブマシンガンのトリガーを絞る。 弾丸が射出される。射線はそれて美希の足下を叩いた。 美希「……く!?」 美希が気づく。植木の影に飛び込み、応戦してくる。まずい、釘付けだ!側面からみみ先輩が顔を出す。AK47から空になった弾倉を取り外す。 見里「佐倉さんがいません〜っ」 太一「見失ったんですか!」 見里「彼女、身軽で……」 太一「くっ……まずいな」 敵を見失うのはまずい。と、霧が右側からまわこんできた。まずい、挟み撃ちになる。霧のM4A1カービンが火を噴いた。 見里「あっ、やられましたー」 太一「シット!」 二対一だ。俺は応射しながら後退する。挟まれたら終わる。側面の美希も気になる。その時、背後に銃口を突きつけられた。 美希「ほーるどあっぷ」 い、いつの間に! 美希「ゲームセットです」 太一「あー、またやられたー!」 美希「やっほーい!」 霧「かちー!」 美希と霧はハイタッチをする。 太一「これで四連敗だぞ……ちぇっ」 部活は順調だった。 …………あれ。帰路を歩く。 太一「うーむ」 結局、何もない一日を過ごしてしまった。どうも身が入らない。それに……学校に行っても賑やかさは感じられない。世界はガラスキになっている。八人では世界とは言えない。永遠の一夏。俺たちは、時の渦にとらわれた人類の残骸なんだろうか。 太一「……」 わからなかった。 わかるはずがなかった。 何もなく、誰もいない家に戻る。 虫の音色も聞こえない。 蝋燭に火を灯す。 やることはたいしてない。 日記を書く。 克明に書く。 やることがあるのはいいことだ。 CROSS†CHANNEL 水曜日。 ニュートンも失笑、惰性の法則に従って学校に行く。 坂を歩く。 いつもながら勾配がきつい。 歩みは遅くなる。 ようやっと平らな場所に出る。 太一「……!」 予感に焙〈あぶ〉られて、意識が加熱した。理性よりはやく体は動く。振り返った! 太一「…………いないか」 人の気配を感じたのに。 脱走させないための門はとにかく厳めしいという印象があった。なぜ脱走させてはいけないか。人を傷つける可能性があるから。ま、一種の半隔離施設だ。安心していい、危険人物たちは滅びました。世界中に八人だけです。 あと一般市民も滅びました。だから被害者は出ません。 わはは。 太一「と、自虐ネタはここまでにして」 死んだ貝のように開いたままの門を抜ける。荷物を置きに教室に。 太一「おや?」 冬子の姿がない。来ていると思ったのに。いつもの窓際。そこにお嬢様の姿はない。胸騒ぎがした。いつもと違う行動を取らないでくれ。願いにも似た思い。ズタ袋を置いて、学校を彷徨う。 はじまって三日目の『いつも』。だけどそれは、がらんどうで満たされていて。と、一人で屋上に来たのはいいが。 どうしようかな。 あ、先輩だ。 見里「ぱららららららっ」 サバゲーの練習してる。SMGを腰だめに構えた先輩は素敵だ。ちなみにこの銃器は、毎年の合宿で使われていたものだ。無線、合宿ときたらあとはサバゲー。ちゃんとBB弾タイプの電動ガンも揃っている。 太一「はろー」 見里「えっ?」 こっちを向いた。SMGが水を噴出した。 太一「わっぷ!」 目と目の間を直撃。電動水鉄砲だから勢いは強い。 見里「あっ、ごめんなさい……」 太一「いえ、夏のサバゲーはウォーターガンに限りますよね」 見里「そういえば新製品が出たんですよ、滅亡前に」 太一「寒すぎる…… あのー、そういえば気になっていたんですけど」 見里「はい?」 太一「アンテナ、手つけなくていいんですか?」 見里「…………そ、そうでした」 太一「美希のペースにほだされましたね」 見里「襲ってきたからつい応戦してしまいました……」 と——— 美希「GIダーイ!」 とっかん吶喊したきた。 太一「GIじゃねーっての!」 応戦する俺。そして先輩。水鉄砲が火を噴いた。 ※水鉄砲が火を噴いた=気にするな 太一「ベトナムコンプレックスどもめが!」 美希「GIダーイっ!!」 太一「俺をGIと呼ぶなぁー!」 霧「死ねー!」 太一「おわっ」 くそ、なんか半分本気だな、こっちは。 太一「ベトナムコンシャスの猿め……死ぬのはおまえだ!」 俺はベトコンの正しい意味を知らなかった! 霧「くっ、こしゃく……」 太一「お前がな!」 水鉄砲の火線が交差する。 ※水鉄砲の火線が交差する=気にするな 見里「停学、停学っ!」 美希「うりゃー!」 また部活が……。と思いつつも、目の前の敵を無視することはできない。 太一「くっ、弾(水)切れ!?」 腰に装着したタンクから、弾薬をリロードする。きっちり十秒かかる。 霧「……フッ」 霧に邪悪に微笑む。正確な射撃を加えてきた。身を低くして走る。そう簡単には当たらない。 だが十秒は長い。霧が確実に当てるため、接近してきていた。 ちょうどリロード完了。 撃つ。 霧「……あっ!?」 霧が転倒した。いいぞ!もう一撃。これも外れたが、霧はさらに体勢を崩した。つんのめって、ケンケンをしながらフェンスにしがみつく。フェンスが傾いだ。全体重をかけていた霧は、向こう側に折れ曲がるフェンスとともに、横倒しになる。 太一「霧!」 駆け出す。間に合うか。無理だ、この距離では。それがわかってしまった。 霧「あ……え……?」 カラカラ、と制服の金具が音を立てる。フェンスの網目と擦れて、そんな音がした。滑り落ちる最中の音。俺の目の前で、霧が、 美希が、 太一「っ!?」 迅速と言えた。美希は手を伸ばす。霧の手首を掴んだ。間一髪、霧は落下を免れた。 美希「……霧」 フェンスを掴んだ腕は、針金で引き裂かれて出血していた。当の霧はまだぽかんとしていた。 ……………………。 霧を引き上げる。しばらく、呆然と自失していた。 美希「いったたたたぁ〜」 出血がひどい。 太一「これは保健室に行かないと……先輩、そっちの方、お願いします」 見里「はい」 美希「あ、保健室には先輩と行きますっ」 見里「え……だめです、私そういうの……ぺけくんお願いしますっ」 太一「へーい」 美希「あっ、わたし自分で行けるかも」 太一「手当ては無理でしょ」 美希「あーう」 俺も血は苦手だ。 太一「ま、まぁ、なんとかするって」 美希「…………」 美しい血。友達を助けた。心は疼かなかった。これなら平気かも知れない。俺たちが校舎内に入る時、霧がぺたりとへたり込むのが見えた。恐怖は遅れてやってくる。いつだって。 美希「うおおー、揺れるとジンジン響くですー」 太一「我慢しろ、今名医を召還してやる」 窓をあけて、口笛を吹いた。 カムヒア! ヨーコ! 太一「…………」 来ないな。再度、口笛を吹いた。 カムヒアッ! ヨーコッ! 太一「……………………」 あれえ。 美希「すんごく裂けてます、わたしの腕」 太一「あわわ」 仕方ない、俺が手当てするしか。袖をまくりあげる。傷口のある部分を見る。 太一「う……」 やっぱり血の匂いはきつい。洗濯ばさみで鼻をつまんだ。 美希「それは?」 太一「ごねでのし(これでよし)」 美希「……まさか治療の一環?」 勝手に納得してくれた。ええと……まず水で……。洗面器の水で、血を洗い流す。ほっとする。 美希「……………………」 美希は俺を推し量るように、じっと見つめていた。消毒……。 美希「みぎゃー」 染みたらしい。もういっちょ。 美希「はぎゃー」 こんなもんか。 ガーゼ。 包帯。 包帯どめ。そでを戻す。 太一「ふう」 洗濯ばさみはもういらない。 太一「オペ終了」 美希「……ジンジンします、傷口が痺れる感じです」 太一「それは恋だ」 美希「こ、これが恋」 太一「しかもトゥルーラブだ。好感度は89%。間違いないね」 美希「そーかー。これが恋……」 太一「恋の花咲く気分はどうか」 美希「……わかりません。恋する間もない人生でした」 太一「くっ、泣かせやがる」 美希「というか、血の苦手な先輩に手当てさせちゃってすみません」 太一「なに。医者もいないし、怪我は一大事だ。自愛してくれ」 美希「自愛してます……すごく……」 太一「ならよし」 美希「なにかお礼しないといけないですね」 太一「下着の一枚でもくれれば」 美希「……うーおー、たけぇ……」 太一「冗談だ。霧ちんに殺される」 美希「他にご希望の品は?」 太一「んー、ファーストキスはもうもらったしなぁ」 美希「ぐ、そうでした……」 ミキミキはショックを受けた。 太一「思い出にせよ」 美希「イヤでもこの思い出を抱えて生きていくわたし……。エロ以外でありませぬか?」 太一「うーん……デート……」 閃く。 太一「ダブルデート」 美希「え、どの組み合わせで?」 太一「あー、俺と、美希と霧ちん」 美希「女の子がダブルなだけじゃないですか」 太一「で、俺のことをふたりじめしてくれ」 美希「まあ、そのくらいでよければ」 太一「いいの?」 美希「いいですよ」 両手に花だな。 美希「……一人だったらどーしよっかなーって感じでしたけど、霧ちんが一緒なら全然OKです」 太一「警戒されているらしい」 美希「してまーす。先輩は、あぶないですからー」 太一「ははははは」 けれど美希は知らない。俺が本当に、危険であることを。 衝動。時折、身じろぐ。俺はそういうものと、闘っている。 太一「美希っちにはいろいろ世話になりっぱなしだな」 美希「?」 太一「月曜も助けてもらったし……サンキューな」 美希「……んまあ……どってことは」 太一「霧ちん助けた動きは良かったなー。別人かと思ったぞ。本当に……」 見違えるほどに敏捷で。 けど美希って、そんな鋭かったかな。俺を引きずって、自宅まで運んだんだっけ。そんな力、あるのかな。 太一「蹴りも鋭かったし……そういえば……」 考え込む。なにか引っかかっている。 美希「あ、あのー」 太一「ん?」 美希「……ちゅ」 頬に。 曜子ちゃん以外からされたのは初めてだった。 美希「お礼の前払いですっ」 太一「お、お、お釣り払っちゃうんだからしてっ!」 俺は美希に飛び込んでいく。 CROSS†CHANNEL 待っていると。 美希「せんぱーい!」 霧を連れて、美希がやってきた。 太一「よ」 美希「待ちました?」 太一「これから来るとこサ!」 小粋なギャグが挨拶がわりな俺たちだった。 美希「いやー、説得に手間取っちゃって、すいません」 霧「……説得というか……説得というかっ……」 霧は不満たらたらだった。 美希「性欲をもてあます」 ぼそっと言う。 霧「…………」 おとなしくなった。霧はどんな秘密を握られているんだろう。 太一「じゃあどこ行こうか?」 美希「やまー!」 太一「……山?」 美希「山の上から、三人で街並をながめるデート!」 太一「疲れそう。いいけど」 美希「霧ちんもいーよね?」 霧「……いいも何も、逆らえない」 美希「じゃGO!」 美希は右腕を組んでくる。 美希「ほらほら、腕組むです」 太一「あ、ああ……」 で、反対側で霧と腕を組む。 霧「……はいはい」 三人はぎこちなく歩く。合わない歩幅。戸惑いの空気。ズレた意気込み。 なんとも、うちららしくはある。 太一「ねえねえ、こういうのって、俺が真ん中じゃないの?」 美希「これでいーのですよ」 霧と目を合わせる。 ぷい。 そらされた。 太一「……ま、いっか」 三人で歩く。ちょっと歩きにくかったけど、頑張った。 美希「いそがないと日が暮れますね」 太一「急ぐか」 美希「いそげっ、いそげっ」 太一「いそげっ、いそげっ」 そして。 太一「ついたぁ」 霧「はー、はー、ぜー、ぜー」 霧がバテていた。 美希「おー、いいタイミング!」 美希は全然平気だった。現金な娘だ。 太一「暗くなる前につけたのはいいけど、暗くなる前に帰らないとな」 一応、この太一袋には懐中電灯も入っているが。 美希「夕日が見たかったのでちょうどいいです。よいしょっとー!」 そして美希は、両手の花(片方俺)を引き寄せた。 太一「おっと」 霧「きゃん」 美希「一番きれいなのは沈む直前かなー」 もう三十分くらいだろうか。 霧「……はぁ、お腹すいたなぁ」 美希「なんか食べ物はないんですか、先輩?」 太一「あるよ」 カンパンの残りを出した。 美希「そのうらぶれたボクサーが使ってるみたいな袋、なんでも入ってますか?」 太一「太一袋だから」 美希「のどかわいたです」 太一「はいよ」 水筒。 美希「……す、すごい」 欲しそうだった。 太一「ビスケット食べる?」 曜子ちゃんが作ったやつだ。 美希「もらいます! はい、霧っち」 霧「う、うん……」 二人は旺盛に食べた。 美希「このビスケット……おいしいですねぇ」 霧「本当……柔らかくて、甘くて……」 太一「曜子ちゃんのビスケットだから」 美希「愛されてますねー」 太一「偏愛されてるんだよ」 ありがたい度より迷惑度は高い。 太一「でも監視カメラはやめてほしいよなぁ」 俺の部屋。もう電源が断たれているので使用はされてないだろうけど。 霧「……で、美希はなにを待ってるの?」 美希「夕日だよ?」 霧「これって夕日でしょ?」 太一「美希っちが待ってるのは、余光だよ」 霧「よこう?」 太一「日が没したあとさ、空がものすごいオレンジ色になるだろ? 残照とも言うけど」 美希「それを三人で見る。いい感じじゃないですか」 デートというか、多感なオトモダチ同士って感じだな。 美希「にゃんにきにゃかにゃか♪ にゃんにきにゃかにゃか♪」 霧「ぉっぱいさわんないでよ」 ま、楽しそうだからいいか。 太一「……なあ、性欲をもてあます霧ちん」 霧「ぶっ!!」 太一「水を吹くな」 霧「話したの!? 見せたの!?」 美希「見せてないよ。平気平気」 だいたい何があったのか想像ついてきた。 太一「二人がはじめて部活に参加した日、覚えてる?」 霧「……ええ、一応。あんなの、忘れようとしても無理です」 美希「なかなか入れてくれなかったもんね」 太一「……んー、試験が終わるまではね。適性があるので」 自由に部活に入れるわけでもないのだった。希望は通るが。群青はその都合上、大学をのぞくエレベーター式になっている。霧が来たのは去年の夏。美希はそのもう少し後だった。二人とも一個下の三年生として編入された。校舎自体は同じで、その頃にも多少は顔を合わせていた。 美希「あれは面白かった。忘れないです」 霧「……面白かったかなあ」 太一「二人に素敵なニックネームもつけてやったな。俺が」 美希「えーと、島先輩がインモラルで、たいち先輩は愛貴族でしたっけ?」 よく記憶している。 美希「……愛貴族って、先輩のトークに頻繁に出てくる単語ですよね」 霧「愛奴隷とか愛人形とか……最低。いっそ最低奴隷にしたらどうですか?」 太一「ううむ……奴隷のさらに最低って、俺すごい底辺具合なんだな」 美希「霧ちん毒ー」 太一「あとさ、桜庭の柿の種の説法とか覚えてる?」 霧「……ぷ———っ!?」 霧が吹いた。記憶していたらしい。 美希「そういえば、一つ質問があります。桜庭先輩の耳って悪いんですか?」 太一「ああ、鼓膜が痛んでるから」 美希「え!?」 霧「……知りませんでした」 太一「俺がやった」 霧が眉をひそめた。 霧「シャレになりません」 太一「まあ聞け。原因はヤツにある。……俺が下のガッコ時代の……んー、二年生くらいだったかな。学院祭があったのだ」 美希「今はないですよね?」 太一「いろいろ問題起こったからね。当時もそりゃこぢんまりしていたものだった。やっぱ有識〈うしき〉者数が少ないからね」 ※有識=喜怒哀楽、情緒を有すること 美希「……」 霧「……」 太一「で、やっぱり基本的には、周辺住民の賛同は欲しいわけだよ。こんな学校でも。学院祭とはいっても、知らない人がどやどや来ると不安定になったりするヤツも多いんで、有志による劇みたいなことをやったんだ。あの年は……シェイクスピアだった。演目は———」 霧「ロミオとジュリエット」 太一「……正解」 そう。 美希「ベタですねー」 太一「うむ。もはやベティだった」 霧「……は?」 美希「ベタってのを擬人化して……」 霧「……ああ、そういう意味……」 太一「フフフ。美希、ナイスフォロー」 美希「いえ」 太一「決めてンだ。自分のギャグを自分で解説するときは、死ぬ時だけだってな」 霧「……どっかの映画のセリフみたい」 太一「ま、とにかくシェイクスピアだ。日本名にしたら……フッ、振槍さんってとこか」 美希は身震いした。 美希「……ひねろうというこれっぽっちの意志さえ感じられないっっ!」 俺の実直さの虜がまた一人。 太一「ノーツイスト主義」 俺はうらぶれたボクサーのように、茜色の空を見あげた。 霧「スペル合ってるのかな?」 美希「さあ?」 太一「配役をあててごらん!」 美希「……先輩がロミオ、かな?」 霧「他の人って……当時誰がいたかわからない……」 太一「曜子ちゃんが一個上だった」 美希「じゃ、支倉先輩がジュリエット」 太一「残念。その逆」 美希「……逆転劇?」 太一「そう。まあ当時は体格面で同じくらいだったんで、どっちがやっても平気だった。あとねー、他に劇ができるほど安定してるのいなかったから、全役俺と曜子ちゃんでやった」 霧「うわ……」 美希「それって……学院祭?」 太一「まあ、体面上。劇自体は大成功だった。特に迫真のキッスシーンを……あのアマ……人前で……」 霧「こ、この人泣いてる……」 美希「どうしたんだろう?」 太一「ちくしょう! 当時の俺には、まだ露出のケはなかったのに!!」 美希「今はあるのかよ……」 太一「とにかく、口づけをかわす二人の口の間からだらだらとヨダレが流れていようが、ヒロイン役の俺が逃れようとじたばたしているのに主人公役の方がサブミッションを決めていようが、スカートの下で執拗に局部タッチをされていようが、誰一人気がつかないのが演劇の魔力だ。劇は大成功だった。俺は下着を替えた」 霧「……ゃだ…………」 太一「そこに新キャラ、桜庭登場〜!」 美希「出た」 太一「ヤツは本能に忠実な男。いや、あまりにも忠実すぎる男だった」 太一「桜庭は観劇に来た。そして一目惚れをした」 霧「支倉先輩に……」 太一「違う、俺に」 美希「……」 霧「……」 二人「えええええええええええええっ!!」 鼓膜破れかけた。 美希「えーえー、桜庭先輩が太一先輩にーっ!?」 霧「ねえねえ、じゃあ桜庭先輩が全然女の子に興味ないって噂って?」 美希「ひゃーーー! どーなんだろー!」 霧「わっ、わあぁー」 美希「きゃーきゃー!」 うるせぇ……。 二人「で、どうなったんですか?」 太一「そのハモりなんかムカつく ……とにかくだ。桜庭はあれで強引グマイウェイ。舞台袖にすぐあらわれた。花壇に植えてあった校長の花を勝手に摘んでな。俺は驚いた。出会ってから告白まで、三秒。はやい、はやすぎた」 二人が息を詰めている。 ……なんか話したくなくなってきたぞ。 太一「不幸なことに、その場に曜子ちゃんはいなかった。だが俺は冷静だった。だって俺は男。桜庭の愛を肉体的に受け入れるホールにも事欠く有様だった(大人のジョーク)。だから俺は自らのシンボルを露出することで、男だということを証明してやった。これをシンボリズムという」 美希「……嘘だね」 霧「うん、嘘だね」 美希「ギャグつまらないね」 霧「うん、でも我慢しよう。話はおもしろいもの」 太一「……泣いていいか。だが桜庭は止まらなかった」 桜庭『男でもいい』 太一「そしてヤツは襲いかかってきた。実は俺には、ヤツを受け入れかねないホールに、一つばかし心当たりがあったのだ(大人のジョーク)」 美希「うをーーーーーーーっ!」 霧「そ、それって……」 楽しそうだなオイ。 太一「で、我が貞操を守るため、俺は平手を繰り出した。それがヤツの耳に当たって……まあちょっと怪我をさせてしまったのだ」 美希「ああ、それでちょっと耳が……」 太一「あとで父親と一緒に謝罪しにきた。なにしろレイプ未遂だからな。まあこっちの責任は問われなかったよ。もともと人の話を聞かないヤツだが、さらに磨きがかかったらしい。で、桜庭が病院に運ばれて……その場はそれですんだんだけど。進学したら、クライメイトにヤツがいた……」 霧「追いかけてきた?」 太一「たぶん……」 美希「で、二人はその後?」 太一「何もない! というか、ヤツも別に俺の全角アスタリスクをどうこうする気はないらしい」 ※全角アスタリスク=『*』←コレ 美希「プラトニック・ラ……」 太一「言うな」 頭を抱える。 太一「正直、複雑以外のどんな感情もない」 美希「それでイジメてるわけですね」 太一「……他にどんな反応をしろと。しかもあいつ、ほっとくと俺に異常に親切なんだ」 鳥肌が立ってきた。 太一「そんなのは一人でたくさん……というか、俺が求めてるのは普通の人間関係なんだー、と夕日に叫びたいお年頃なわけだ。はい、おしまい。おもしろかったか?」 二人はこくこくと頷いた。 美希「すっごく、おもしろかった、です」 太一「……見里先輩も冬子もこの話には目の色変えてたな……女って……」 美希「きゃーきゃー」 霧「きゃーきゃー」 すでに二人はきゃーきゃー話し込んでいる。黄色い声。ため息しかつけない。結局、全員に話してしまった。 太一「……なあ美希、とか言ってるうちにそろそろみたいだぞ」 美希「ぅぇ……あ」 沈んだ日。その光だけが、空をよじのぼって。陽炎のように、空の下半分を染めていた。 美希「……………………」 太一「へえ」 すごいもんだな。人はいなくとも世界はまわっているわけだ。 霧「……うっわぁ」 圧倒的だ。言葉もなく、三人は光景に魅せられていた。 やがて。 美希「……あは」 頓狂な声は、笑っているかのようで——— 美希「あは、ははははははっ」 泣いていた。俺たちの腕を、強く引き寄せる。 美希「あはははぁ、ひくっ、アハッ……あはぁ……うっ、うっうっう……」 霧「美希、どうしたの?」 美希「きれいだ……ね……きれ……うわぁぁぁ……」 太一「……美希」 俺たちは、美希が泣いている理由さえわからず。ただ、困るだけで。 美希「きれいだよっ、きれ……ははっ、ひっく、は…………」 涙声に見送られて、余光の残像は地平に消えていった。 美希「うわあぁぁぁぁぁ———」 しゃくり上げるばかりだった。 霧「大丈夫?」 美希「……ん……平気……」 美希の涙をぬぐったのは、霧のハンカチだった。 寄り添って、二人。 間に入る余地はない。 俺は懐中電灯で、先頭を歩く。 なぜ美希はここに来たがったのか。 なぜ三人だったのか。 なぜ、泣いたのか。 ……美希もいろいろ抱えているには違いない。 まあ、プライベートはどうでもいいや。 そういや、ここは祠の近くだったな。 少し見ていくか。 太一「霧、ちょっと俺、寄ってくところがあるんで……」 懐中電灯を渡す。 太一「じゃーまた」 霧「え……あ、ちょっと」 美希「あ、そっちは……危な……」 そして俺は。 太一「やっと来れた」 ら抜き言葉で、俺は感慨を示した。 太一「ぎゃー」 足首が曲がった。転倒しかける。咄嗟にベルトに仕込んだルパン・ワイヤーを伸ばし枝に巻きつける…… ということができたらイカスのだが、普通に転んだ。こういう時は素直に転んだ方がいい。 受け身。 太一「……ん?」 地面をよくよく見ると。足跡。祠の前から一直線、帯状に足跡が重なっている。何十往復すればこんなことになるのだろう。靴跡そのものを調べてみる。 サイズは27くらい。 俺と一緒だ。メーカーもおそらく。 太一「…………」 俺と同じ靴。友貴の靴ではない。桜庭でもない。女子に27なんてのはいないはずだ。 全員の身体データを把握している俺が言うのだから間違いはない。記憶喪失の俺か、俺の靴を使用した何者かが、つけた跡ということになる。けど、祠にどんな用が。 思案に没頭しようとした時——— 太一「……!」 血が匂った。かすかな血臭。引き寄せられて、茂みに分け入っていく。 すぐ危険信号がした。太一袋からナイフを取り出す。クリスリーブの大型ナイフだ。ここまで来ると短剣に近い。もちろん携行は犯罪だが。犯罪という概念はなくなっている。俺も所持は禁じられている。 けど。 認められはしないだろうが、護身のため俺はこれを必要としている。人に攻撃され続ける恐怖を知っているからだ。耳を澄ます。感覚をとぎすませる。ゆっくりと歩く。探すのは違和感だけだ。 あった。 俺の目は違和感を逃がさない。慎重に迂回して、根本に近づく。 ……ボウトラップか。小型のクロスボウを利用している。奥に入ろうとすると作動するわけだ。 未作動。こんなことをしそうな人物に、心当たりは一人しかない。ワイヤーを切断し、クロスボウから矢を外す。かなり慎重に隠蔽してあった。仕掛ける位置もうまい。少し目視できる、段差の手前だ。段差に注意をはらっていると、死ぬことになるわけだ。 陰湿で、確実さを求めた罠。奥を確認してやろうじゃないか、曜子先生。少し進むと、ワイヤートラップが仕掛けられていた。スネアだ。足を吊られると、頭上から石が落ちてくる。 破壊。 危険信号が弱まった。もうないってことか。それでも用心深く進む。 最後の草むらを抜けると、隠されるように、曜子ちゃんが死んでいた。 太一「……………………」 この感情をどう形容したらいいんだろう。 驚愕とも違う。 怒りとも違う。 悲しみでも、悲嘆でもない。 形容不能の奔流。 俺の内部に渦巻く。 曜子ちゃんが、死んだ。 胸を中心に血が広がっている。 古い血だ。 かたまって変色し、黒ずんでいる。 触れる。冷たい。 死後数日。硬直してしまっていた。 しかし腐敗している様子はない。 それも奇妙な話だが……まあ置いておこう。 太一「……曜子ちゃん、死んじゃったのか」 美しい骸に、話しかける。 一番死とは遠かったはずなのに。 髪を整えてやる。 太一「油断したね」 しかし返答はない。 俺が話しかけたら、小動物みたく喜んだ。 邪険にしていたのに。 小さなウサギみたいに。 ……本当は、獅子にも狼にもなれた彼女だ。 太一「びっくりだ」 視界が曇る。 太一「……ん?」 目尻に触れてみると。 涙。 大量に。 悲しみはない。 ただ顔の筋肉だけが引きつって、涙を絞り出していた。 とめどなく。 太一「うわ、すげ……ぼろぼろ出てきてる」 不思議だ。 肉体は悲しんでいるのかも知れない。 心は……。 ああ。 俺の半身が死んだ。 霧「……先輩……あなた……」 霧!! 美希「……」 美希も。 咄嗟にナイフを……隠しても意味がない。 もう見られている。 そして……誤解されるだろう。 霧「人……殺し……やっぱり……」 やっぱり。 霧「殺したんですか?」 太一「……違うよ」 霧「だって、ナイフ持ってるじゃないですか……」 太一「茂みに入るから、持ってただけだ」 太一「ほら、彼女の傷口見てみろよ。矢傷だ」 霧「……行きませんよ……そっちには」 遠巻きに。霧は俺を注視していた。油断する気はないらしい。 霧「……さっきまで……笑って話してたのに……裏では、平気でそういうことをするんだ……」 吐き出される。 霧「どうか、してるっ」 美希「…………先輩」 美希もショックを受けている。無念そうな、思い詰めたような。そんな顔だ。 霧「行こう、美希」 美希「あ、うん……」 二人は引き返していく。残される俺。 太一「俺じゃないのに」 どうでもいいや、もう。曜子ちゃんが死んだ。存外、俺は衝撃を受けていたらしい。思考はぼんやりとして、なかなか明晰さを取り戻してくれなかった。それが俺の、彼女に対する慟哭だった。 数時間後、俺は帰宅した。 自宅前には、友貴からの差し入れが置いてあった。 太一「……」 曜子ちゃんを火葬にした。腐敗しないのであれば、そうするしかなかった。そして、埋めた。墓は用意しなかった。死は無だからだ。立場が逆だったら、彼女はどうしただろう。俺が誰かに殺されてしまったら。 太一「……」 犯人を捜し出して、殺害するに決まっていた。皆殺しにするかも知れない。けど……俺は彼女のために、そこまではしてやれない。俺が目指すものは……復讐鬼じゃないからだ。心はまだざわめいている。 そう、日記を書こう。 書面に。 太一「ん?」 外から物音。 蝋燭を消す。 窓際に。 外を見る。 家の前、道路を誰かが歩いていた。 ……霧。 荷物を抱えている。 まあ、関与すべきことじゃないな。 机に戻る。 ペンを取る。 CROSS†CHANNEL 冬子の姿はない。 今日もだ。 学校に来る理由もない。当然か。 少しばかり物足りない。 少しばかり自分の席に座ってみる。 少しばかり、物思いにふけってみる。 美希に声をかけたのは、俺が最初だと思う。 彼女は本来の学校を追い出されて、群青にやってきたラブリーな子羊ちゃんだった。 初日。 彼女は昼ご飯というものを持ってこなかった……らしい。 その情報を、美希とクラスメイトになったみゆき経由でゲットすると、即捜しに出向いた。偶然を装って出会いイベントをセッティングするためだ。近隣に迷惑をかけないよう閉ざされた正門前。美希はそこで立ち往生していた。 太一「ハーイ!」 美希「……え?」 太一「彼女、可愛いね。どうしちゃったの? 困ってるみたいだけど?」 シュコー、シュコー 美希「あ、あの……いえ……」 太一「なんだい? わかんないことがあったら、群青の類語辞典と呼ばれた黒須君になんでも聞いてくれよ。同義語をたくさん教えてやるぜ。その意味まではわからないけどな」 シュコー、シュコー 美希「あの……では一つだけ」 太一「OK」 美希「どうしてがすますくしてるんですか?」 太一「ファッションさ!」 なんとなく素顔を見せたくない。一種の醜形コンプレックスらしい。 美希「おぐし、白いですね」 太一「染めてるのサ」 シュコー、シュコー 太一「そんなことより、もっと気になることがあるんじゃないのかい?」 美希「門が閉まってて……お昼を買い物に行けないんですけど」 太一「ふむ。前の学校は?」 美希「給食でしたから」 太一「シンデレラガール、可哀相だけれどここの門は開かないんだ」 太一「学生は就業時間中は外に出てはいけないんだ」 美希「え……でも……学食行ったら全部売り切れてて」 太一「本能強いからね、みんな。はやいもの勝ち」 美希「……そうですか……どうも」 校内に戻っていく。 太一「まあ待ちたまえ」 シュコー、シュコー 太一「ここに、賞味期限はちょっとあやしいがうまいパンがあるのだが、どうかね? 俺と一緒に食べないか?」 美希は迷惑よりの困惑をその顔に浮かべた。 美希「……いえ、そこまでは」 太一「遠慮はいらない。甘えてくれていいんだよ」 美希「初対面の人に甘えるとか、できないです……あの、本当にいいんで……どうも」 太一「まあまあ、昼抜きでは午後はきついだろう」 美希「ごめんなさい」 明確な、拒絶。 太一「……OK。じゃこうしよう。食べ物あげるからかわりのものをくれよ」 美希「…………」 どうやって逃げようか、思案している風に見える。諦めて、言った。 美希「かわりのもの?」 太一「うん。君のパンツ」 立ち去る。 太一「冗談冗談!」 美希「あの……わたし、もしかして遊ばれてます?」 太一「俺が遊んでほしいんだ」 美希「バカにされてる気がします……」 太一「大丈夫。俺もバカだから」 シュコー、シュコー 美希「……パンツなんて人にあげる気ないです」 太一「じゃあ何だったらもらってもいい?」 美希「本当に何でもよろしいんですか?」 太一「ああ」 瞳が挑戦的に光る。 美希「わたしの一生つかいっぱしりになってくれ、とか」 太一「愛奴隷か。望むトコロだ」 ぎょっとされる。 美希「やっぱ今のナシ。かわりによつんばいになって犬の……きゃっ!?」 『犬の』の時点ですでに犬完了だった。 太一「わん!」 美希「……ちょ、これもナシ! ええと、ええと……」 無理難題をふっかけて追い払う気だったらしい。わかってない。こんな程度では、俺は喜ぶだけだ。美希の顔に自信が戻る。 美希「じゃあそのガスマスク、取ってみてください」 太一「これか……うーん」 困った。俺の第一印象は、けっこう不気味なのだ。 が仕方ない。 マスクを外す。 太一「……ほい」 美希「……………………」 太一「フィルター抜きの空気はうまいね」 美希「地毛なんですね、その白髪」 太一「そうだよ」 美希「目……コンタクト入れてます?」 太一「肉体的な欠陥で、虹彩が普通の人とちょっと違うんだよ」 太一「……角度によっては光ってるだろ?」 美希「ええ……」 少し怯えていた。目は感情を持つ。人と違えば、不気味に見える。 太一「……薄気味悪いだろ。ごめんな」 美希「いえ、別に……」 太一「このせいで、いろいろつらい目に遭ってきた」 しんみりアトモスフェア。 太一「でも美少女と昼ごはんを食べたら、きっとこの傷も癒されるんだけどなー」と言いつつ、しゃがんでミニスカを下方からのぞく。 美希「きゃああっ!?」 太一「ちっ。素早い」 美希「な、なんなんですか……あなた……」 太一「俺は群青学院の和英辞典と呼ばれたペダントリーな男だ」 太一「ただちょっとエロいのが玉にキズ」 美希「…………」 やがて。 美希「ぷっ」 小さく笑って。 美希「……変な人」 太一「的確な評価だ。さあどうする? パンツか、ごはんか」 美希「つまり……なんぱってヤツされちゃってるわけですか?」 太一「そーそー」 美希「はじめてですよ、そんなの」 太一「君ならそうだな……五歳から俺の射程距離内だと言える」 美希「変態さんなんですね」 太一「いかにも。で、どうだね、ランチでも?」 美希「……じゃああの門を乗り越えて、そのおいしいパン屋さんでもう一人分買ってきて下さい。そしたらご一緒してあげます」 太一「いいだろう」 俺は門によじのぼった。数メートルある。たちまち警備員が騒ぎ出す。が、俺が門を越える方がはやい。着地。 美希「いっ!?」 田崎商店に。 買って、 戻った。 警備員が郊外を数人、俺を捜して走り回っていた。 突っ切って、再び門を越える。機動性に劣る警備員は、門を開くしかない。 そいつらを尻目に、美希を捜す。 ……いないな。 教室に戻ったか。 一年教室にダッシュ。 太一「どうだ、買ってきたぞ!」 霧「こっちもおいしいよ」 美希「……ありがとー」 太一「だああああああああっ!!」 食ってた。 美希「あ……さっきの変態さん」 霧「……む、こないだの変態」 太一「あのな」 美希「本当に買ってくるとは思いませんでした……」 太一「真剣な冗談がモットーだ」 霧が美希を背後にかばう。 霧「またスカートめくりですか、先輩」 太一「む……こないだのキック娘……俺はただその子に昼ご飯をおごってあげようとだな」 霧「もういりませんから」 太一「なにぃ?」 霧「わたしがちゃんと面倒見ます。先輩には関係ありません」 く、正義ぶって実力を行使しやがって……アメリカかおまえは! 美希「あ、もうおなかいっぱいですし」 太一「えーーーーっ!?」 美希「……ごめんなさい」 霧「いいよ、こんな人にあやまらなくても」 美希「えー、でも……」 霧「この学校で一番ワルモノなんだから」 太一「……おいおい。ステロすぎるぞ」 別に俺はワルじゃない。やればできるのにやらなかったり、クールに見えて近寄りがたくもないぞ。 いつも全力だ。 太一「……」 クールの方がもてそうだな。 ……失敗。 太一「じゃーこのパンはどうするの?」 美希「……買い取りましょうか?」 霧「うわ、さいてい」 太一「く……最初に声かけたのは俺なのに。こうなったら強引にここで食う!」 俺は二人に密着して座った。 霧「な、なにしてんですか!?」 美希「きゃっ、ちょっと」 太一「あーうまいうまい。肉って腐る寸前がうまいけど、腐る寸前のパンってのもオツだよなー!」 霧「どっかいってくださいよ!」 美希「きゃ、ちょっと、あはは……たいへんだぁ」 苦笑。でも、そんな嫌そうではない。 太一「うまいうまいっ、あ、そのおかずおいしそう!」 霧「こらー! わたしのお弁当!」 太一「なにをー!」 口論開始。 美希「あはははは……なんだかなぁ」 俺たちが言い争うのを、美希は複雑な表情で見ていた。 CROSS†CHANNEL 太一「う……」 目が覚める。 机に突っ伏して寝ていたらしい。 夢を見ていた。 懐かしいはずの夢。 けど憂鬱な気分になってしまう。 結局人は、自分のために生きている。 人と触れあうことで生じる、様々な欲望の中で。 汗ばんだ体を冷やしに、屋上に向かう。 アンテナの場所。 みみ先輩はいない。 怪我したせいだろうか。 彼女の部活は、中断されてしまった。 アンテナの根本には、機材やら工具やらが置かれている。 ノートがある。 見てみた。 太一「……………………」 なるほど。 いろいろ苦労しながらやってたわけだ。 SOSねぇ。 アンテナを立ててSOS。これでバッチリ。 みみ先輩らしい、素敵な計画である。 みみ先輩一人だと……終わらない作業量に思える。 図面に赤線が引いてある。 『届かないよ〜(泣)』 ははあ。確かに。 仕方ない。 脚立を立てて、その上にのぼる。 太一「ここを……こうかな?」 仕上げてやった。 太一「これでよしと。で、次はと……」 図面に視線を落とす。 『わからないトコ(泣)』 『保留です(泣)』 『ここ間違い(泣)』 『???(泣)』 『間違えたカモ……あとで確認(泣)』 『ワイヤー切れた、代用できるものを探さないと……(泣)』 『(泣)』 『(泣)』 『(泣)』 泣き言だらけじゃねぇか。 太一「……みみ先輩……」 アンテナを見てみる。 放送局……か。 SOSの効果はともかく。 みんなで放送をするということが、妙に心を弾ませた。 あまりにも健全すぎるから。健全さからは対角に位置する俺たちの、琴線に触れるのだ。 こうして。俺は『部活』をはじめた。作業は続く。 美希と霧はなかなか現れない。 ……当然か。 むしろ、普通に学校に来ている俺が異常なのだろう。でも、先輩はどうしたんだ。 昼を挟む。 食い物……友貴の差し入れの中から、カップラーメンを持ってきた。屋上で湯を沸かしながら、きゅうりを囓る。 ……なんか、想像していた部活と違う。 忘れていた。人類がもうとうになくなっていることに。俺たち八人だけの世界。いや、もう七人だ。風前の灯火なんだ。カップラーメンにお湯をそそぐ。食う。 見里「……ああ、ぺけくん」 先輩がやってきた。 太一「おはようございます。遅かったですね」 見里「ええ……」 落ち込んでいる。眼鏡も曇ってしまっている。 太一「ショッキングな出来事がありましたね」 見里「ええ、とても」 俺の近くにぺたりと座って、ぼんやりと空を見あげる。 太一「……話すと楽になりますよ」 見里「友貴と、喧嘩してしまいました」 太一「はあ、友貴とですか。俺もよくしますよ」 先輩は疲れたように微笑む。 見里「ああいう喧嘩とは、また違う喧嘩ですよ」 太一「複雑な家庭事情ってやつですか。食べます?」 先輩は弱々しく首を振る。 見里「……二人っきりの姉弟なんですけど……どうにもうまくいきません」 太一「友貴もあれで強情ですからね」 見里「……原因はわたしにあるんです」 無言で、促す。 見里「わたし、口うるさいですから」 太一「そーですか?」 見里「……わたしが悪いんですよね」 自嘲して、前髪をいじった。 太一「じゃー、俺と一緒ですね」 見里「……そうなんですか?」 太一「俺もすごく悪いんで。だからここにいるんですけど」 見里「……ふふ、じゃー停学ですね」 太一「先輩と一緒なら」 見里「じゃ二人で停学になって、悪いことしましょうか?」 先輩は童女のようにほころぶ。 太一「いーですねー、わるいことー」 鉄扉が甲高い音を立てて開いた。 霧「先輩、そいつから離れて!!」 霧は武装していた。 断じて、水鉄砲ではない。 見里「……ぽえ?」 霧「宮澄先輩、はやくそいつから離れて下さい!」 見里「え? そいつって……ぺけくん? そんな、上級生をそいつ呼ばわりなんてして……休学ですよ」 霧「危ないんです、はやく!」 太一「…………」 見里「そんな水鉄砲……水ボウガンですか?」 太一「本物ですよ、あれ」 見里「ふぅ」 卒倒した。 太一「はや。おまえのせいだぞ」 霧「……黒須太一っ」 霧は狙いを俺に定める。 太一「またテンパっちゃって、どうしたんだ?」 霧「……桐原先輩も、殺した!」 太一「!?」 冬子が。 太一「おい、それって……」 霧「会いに行ったら、死んでた……あなたが殺したんです!」 太一「しらないって! 本気か? 本当に冬子は死んでたのか?」 霧「支倉先輩、桐原先輩……次は誰なんです?」 太一「どういう状況で死んでたんだ?」 霧「……知っているくせに」 太一「外傷は? 場所は?」 霧「桐原先輩の家ですよ。ご自分の部屋で。胸を刃物でひとつきにされて……」 霧「犯人はあなたです、決まってます」 なんて、短絡———曜子ちゃんの死、そして俺の存在が、霧を混乱させていた。興奮もしている。説得は無意味だろう。 ……クロスボウは威嚇用としては弱い。連射がきかないからだ。外れたらおしまい。走っている人間に、そうそう当たるものでもない。霧を取り押さえるのは簡単だが。 太一「やるしかないか……」 こういう死に方は、どうもな。霧の誤射を誘おうと、下肢に力をこめた。 美希「霧ちん、だめだってば!」 美希が背後から抱きついた。 霧「……あ」 矢が出た。 太一「っ!?」 三十センチほど隣を、矢はかすめていった。背後、用具置き場のプレハブの壁に突き刺さり、尻尾を震わせた。 美希「そんなことしたらだめ」 霧「だって!」 太一「……美希、助けてくれたのはありがたいが、もうちょっと慎重に……」 美希「あ、すいまへん」 霧「来ないで!」 歩み寄って、霧の胸ぐらをつかむ。 太一「何もしないさ! ……殴り飛ばしてやりたいけどな」 離す。霧は尻餅をつく。 霧「……人殺し!」 太一「あん?」 美希「やめよう、ふたりとも、笑うのだ」 霧「人殺し! 次は誰を殺すの!?」 太一「……霧なぁ、おまえ……よくないトコ出てるぞ。だいたい冬子が死んだってのも、今さっき知ったんだ。どうして自動的に俺がやったことになるんだよ」 霧「……他に誰がやるのよ!」 太一「……第一発見者のおまえとか」 霧は柳眉を逆立てる。 霧「わたしが殺すわけない……そんなことができるのは、気の狂ったあなただけ! 死ね、死んでしまえ! そんなに殺したかったら自分を殺せ! 狂人! 地獄に落ちろ! たった八人しかいない……この世界で……どうかしてる!! 死ね、死んじゃえ! 人殺し! ……ひとでなし!」 聞くに堪えない雑音。落胆を誘う。 太一「……美しくない」 いつもの霧を錆びたナイフだとすれば。これは……さしずめ無骨な丸太ってとこか。 精密さがない。 繊細さがない。 霧、いつからそんな救いようのないものになったんだ。 太一「…………」 興味が、失せるじゃないか。 霧「……その目……人間の目じゃない」 目のことを言う。これは攻撃かな。攻撃だよな。スイッチを入れてもいいのかな。いいんじゃないか。 ……敵なら。 霧を見る。削除してやろうか?——— 霧「ひ……」 『読』んだらしい。いい目だ。瞬時に蒼白に。人間なんて簡単に死ぬ。刺す必要なんてない。こんなか細い首なら、なおのこと——— 美希「はいはーい、そこまでー! がばーっ!」 美希が霧のスカートをめくった。 霧「きゃーーーーっ!!」 太一「……お」 煩悩覚醒。 太一「ストラーイプ!」 球筋を読み切った審判の誇らしげな顔で、俺は叫んだ。 太一「バッターアウッ!! ふう、やっぱ下着はストライプだな」 美希「あー、戻った戻ったー、わーい」 霧「……ちょ……なに、慣れ合ってんのよ……ばか」 美希「だって、先輩も怒りかけてたし、霧ちんもおかしかったし」 美希「止めただけだよ?」 太一「は、俺もう行くわ。ちょっと調べてみるよ。その冬子の死んだ現場ってやつ」 美希「はい、こっちのしまパン娘はお任せを」 太一「お任せる」 屋上をあとにした。冬子の家。いや……屋敷。中に入ると、一面の闇だった。窓は締め切ってある。懐中電灯を取り出し、冬子の部屋に。昔、何度か来たことがある。父親に紹介されそうになったんだよな。 ……逃げたけど。 二階。 部屋を一つ一つ確認していく。たしかこのあたり……。無数にある扉の一つを開くと。 光がさしこんだ。 太一「……………………」 窓は全開だった。そっと入り込んだ風が、室内を旋回してまた出ていく。だからだろうか。腐臭さえしない。 太一「……冬子」 胸に、刃物がひとつき。なるほど確かに他殺体だ。刃物はこの屋敷のものだろうか。柄が華美に彫り込まれた、調度品めいた短剣である。 出血はある。胸元からシーツまでを濡らして、赤黒く変色させていた。だけど。きれいな骸ではあった。冬子らしい、気高い死体だと思った。 太一「…………」 俺はしばらく、佇んでいた。心臓とともに、時間まで射抜かれたのか。冬子はまるで止まっているようだった。短剣を抜いたら、すぐにでも起きて俺の非礼をののしりそうな。そんな気がした。 ……誰が殺したのだろう。残念ながら、容疑者は数えるほどしかいない。 霧。 美希。 友貴 桜庭。 みみ先輩。 他に隠れている人間がいれば別だが、これで全員。 まず霧。 ないように思う。 第一発見者ではあるが。 考えにくい。 霧の怒りは本物で、混乱もまた真実だった。 美希。 可能性はある。 だけど動機がわからない。もはやアリバイなんて意味はないわけで、美希がどこで何をしているのか、確実に知る術はない。 可哀相だが、容疑者㈰。 友貴。 容疑者㈪である。 やはり動機は不明。 桜庭。 容疑者㈫。同上。 みみ先輩。 容疑者㈬。同上。 太一「うーん」 ほとんど手がかりはない。 殺しそうな人間も動機も、見えていない。また曜子ちゃんを殺した者と、冬子を殺した者が同一人物だとは限らない。 ……探偵って難しいな。正門のあたりで、容疑者㈪を発見した。 奇襲尋問に入る。 太一「年齢は?」 友貴「……言えません」 さすが友貴。俺の奇襲にも動じた様子はない。 太一「年齢を言えないだと? 理由は?」 友貴「理由は言えません」 太一「理由も言えないのか?」 友貴「はい……すいません」 太一「質問を変えよう。二十歳より上かね、下かね?」 友貴「下です」 太一「18歳より下かね?」 友貴「言えません」 太一「ふーむ。17歳かね?」 友貴「絶対に言えません」 太一「君は高校生なんじゃないのか?」 友貴「……そんなものはこの世に存在しません」 太一「女子高生と女子校生はどっちがダメなんだ?」 友貴「どっちもダメって聞いたことがあります」 太一「生徒手帳というものを知っているかも?」 友貴「……そんなものはこの世に存在しません」 太一「年齢は?」 友貴「思春期です」 太一「……年齢確かめることもできねーのかよ」 友貴「しかたないだろー」 尋問はダメだ。やってられん。 太一「で、どうしたんだ?」 友貴「……別に。帰ろうとしてただけだよ」 太一「突っ立ってたじゃないか。なんか電波でも受信せんばかりに」 友貴「……帰るよ。帰ろうとしてたんだ」 トロトロと友貴は去っていった。 太一「なんだあいつ?」 ヤツが立っていた場所から、視線を追う。 屋上。 アンテナ。 そして。 みみ先輩——— フェンスにしがみつくようにして、街並みを眺めていた。しばらくして、身を離してアンテナ側に消えた。 太一「?」 喧嘩してるんだったな、あの二人。とても人を殺す余裕があるとは思えなかった。 美希がトイレから出てきた。 美希「あ、せんぱーい」 太一「よっ、容疑者㈪」 美希「……え゛?」 太一「年齢は?」 美希「言えません」 太一「年齢を言えないだと? 理由は?」 美希「理由も言えません」 太一「ふむ。では質問を変えよう。二十歳より上かね、下かね?」 美希「下です」 太一「18歳より下かね?」 美希「外見は15歳くらいに見えるとよく言われます」 太一「誰が主観の話をしろと言った」 美希「はい、スミマセン」 太一「18歳以下なのかね?」 美希「仕方ありません。真実をお話します……うっ、突然お腹が痛みました」 太一「なんてタイミングだ。シット!」 太一「最後に教えてくれ。君は高校生で女子高生と女子校生で生徒手帳なのではないのかね?」 美希「その四つの単語はこの世に存在しません」 太一「そうか……では最後に年齢は?」 美希「十万十五歳です」 太一「木暮一族?」 遅れて霧がトイレから出てきた。 霧「黒須太一!」 たちまち目が吊り上がる。 霧「美希、その人と話しちゃだめだよ!」 美希「えー? でも?」 霧「危ないから」 太一「まだそんなことを言ってるのか。冬子、見てきたよ。確かに死んでたな」 霧「……ぬけぬけと」 太一「仲間が死んだんだぞ。復讐より先に抱くべき感情はないのか」 霧「そんなの……い、言われるまでもない……」 ……俺が言う台詞じゃないけどな。 美希「それじゃ犯人って……」 太一「俺等全員が容疑者」 美希「……どうしましょお?」 太一「全員が一箇所にいるのがいいんじゃないかな」 霧「いやよ!」 太一「……だろうな」 霧「わたしは美希といます! あなたは一人で勝手にいればいい。どうせ……あなたが犯人なんだから」 太一「……もういいよ、それで」 霧「美希にも近づかないでください」 太一「……んー。どうしてそんなことまで、霧に約束しないといけないんだ?」 美希「あー、またぁ……」 太一「俺は話したい相手に話しかけるよ。相手がどう反応するかは、そいつの自由」 霧「……美希はだめです」 太一「それは霧が決めることじゃないだろ」 霧「美希は……わたしのはじめての親友ですから ……みすみす危害を加えさせるつもりはないです」 太一「くわえないってば」 霧「ずっと、いじめられて……あんな試験結果なんかで……」 涙ぐむ。うへぇ……。げっそりした。 太一「それ俺のせいちゃうで……」 霧「だから……わたしは……わたしの友達を、守りますから!」 太一「……あいよ」 もう霧はダメだ。いろんな意味で。 美希「霧ちん、もうよしなよ。なにもかも先輩のせいにして、もし他の人が犯人だったらどうするの?」 霧「……そんなことない」 美希「そうやって決めつける」 太一「ねえ?」 美希「ねー?」 美希とはウマが合うのにね。 太一「とりあえず、桜庭か友貴犯人説で動く」 美希「男の友情っていいなぁ」 太一「誉めるない、照れるじゃねぇか。……け、けどもしみみ先輩が犯人だったら……つ、つ、つ、つみをつぐなわないといけないよね、あの罪つくりボディで」 美希「きゃん♪」 霧「……やめて……」 太一「君も気をつけたまえ。もし犯人だったら……そーとーエロいことになりますよ」 架空のハマキをふかす。 霧「やめてよっ!」 太一「……え?」 霧「だからっ、どうして仲良くするのっっ!?」 シーン…… 霧「危険なのに! 危ないのに!!」 美希「いや……霧ちん、そこまで警戒しないでも」 太一「俺も生きてちゃいけないような気がしてきた……」 美希「霧っち言い過ぎ」 霧「美希は甘すぎるよ、この人は自分のお姉さんみたいな人、殺してるんだよ?」 美希「あれは……どうなんですか?」 太一「俺じゃないよ。もう死んでたし。だいたいナイフの傷じゃないでしょ、あれ」 霧「わかるもんか」 俺は嘔吐するようにため息をついた。 太一「はぁ。美希、たすけて……」 美希「霧ちんが悪い」 びしっ。 霧「どうして……わたし、美希のために……」 美希「まだそんなこと言ってる。ゼッコーしちゃうよ」 霧「美希……」 太一「そんなゼッコーせんでも」 美希「だって、わたし霧ちんのお人形さんじゃないです ……まだ先輩の方が、わたしのこと尊重してくれるじゃないですか」 霧「!?」 あ、今のは効いたぞ。 美希「友達なら、尊重しようよ。こんなときに、どうして火種をまこうとするの?」 霧「だって、だってっ」 美希「ほら、先輩にあやまろー」 霧は歯を食いしばった。相当悔しい様子。キッと俺を見あげる。 霧「……誰が、あんたなんかにっ!!」 美希「こりゃ!!」 霧は踵を切り返し、走り去った。 美希「うわ、逃げた……」 太一「いい逃げ足だ」 二人で霧の背中が消えるのを眺めていた。 太一「……ところでさ、美希ぽん」 美希「美希ぽんです。何でしょう?」 太一「……背、伸びた?」 美希「そうですか? 自分では見えないんですが」 当然だ。 太一「あれあれ、よく見ると胸も……」 美希「だめですよぉ、踊り子さんに触っちゃ」 胸を両手でガードした。 太一「ちっ」 ま、いっか。 太一「とかやってるうちにもう夕方だ」 美希「……帰りますか。霧っち一人で行っちゃったし」 太一「あとでフォローしといてやってくれ。俺ではアカン……」 美希「はーい」 美希は強い。こんなときに平静でいられるタイプだとは思わなかった。人間の真価は、危機が訪れる時に発揮されるらしい。 帰り道。 七香「へーい」 そばに七香がいた。忽然と立ち現れたような……。 太一「あ、七香……」 七香「お元気ー?」 太一「そんなことより、あの祠って———」 抱きしめられた。 太一「うぐっ?」 七香「楽しいって、言えるなら、いいじゃん」 太一「いや、言ってないし」 つうか会話に脈絡ないんですけど。なんなんだこの唐突感動イベントは……。しかし、それはそれとして。あいまいな胸の柔らかさ。少女の香り。不思議と、猥雑なものは感じない。抱かれた時の感覚が、曜子ちゃんとは違った。 七香「その言葉は、嬉しいんだ。すごく」 太一「なにも言ってないが……」 七香「強くならないと生きる資格がないわけじゃないから」 太一「聞いちゃいねぇ」 七香「弱いままでも、いいんだよ」 太一「聞けよ!」 わけがわからなかった。 太一「胸の感触はすごくよかった」 七香「……正直すぎる」 太一「ただわけはわからなかった」 七香「ごめん、間違えたよ」 太一「なにと?」 七香は頭をかいた。 七香「別のと」 太一「理解できるように説明して」 七香「キミってアンテナ設営の方、着手したみたいだけど、進捗はどう?」 太一「あのな」 七香「んい?」 太一「わかるように話そう。まず……まずだ」 七香「まず?」 太一「そうだな、いろいろあるんだが」 七香「じゃあ一個だけ質問に答えてあげる。どんなことでも答えるよ?」 太一「パ、パンツの色はっ?」 七香「今日は白。でもちょっとかわいいの。ブラとおそろいのやつなんだ」 太一「純白かぁ」 少女の下着に思いを馳せた。 七香「じゃ質問はこれで打ち切ります」 太一「うおー、しまったー、世界の謎がー!」 反射的に質問してしまったぁ! 太一「俺は馬鹿だぁ!」 七香「そしてエロい」 太一「……取り消しだめ?」 七香「ダメー」 腕でバッテンを作る七香。 七香「次の機会だね」 太一「うーむむむ……失敗……」 ここではたと考えた。あれ、こいつ……犯人なんじゃないか。 太一「七香さん……一つ質問が……」 七香「もうダメだって言ったでしょ」 太一「あ、そうか」 七香「また来週だね。太一がちゃんとやることやったら、たどりつくって」 太一「たどりつくってどこに?」 七香「ここに」 にっこり。 太一「んーーーーーー」 どうも、キーパーソンだとは思うんだが……要領を得ないな。 七香「祠行ったでしょ?」 太一「行った」 七香「……中身見てないでしょ?」 太一「見てないな、そういえば」 七香「見ろ」 太一「いや、もうあの場所には行きたくないから」 七香「……ま、焦る必要はないから構わないんだけど」 太一「曜子ちゃんの眠る場所だから、そっとしといてやりたいんだよ」 七香「んー。あの子は、来て欲しがると思うよ」 ……死んだことも知ってるか。 太一「合わせる顔がない」 曜子ちゃんの敵討ちをしてやれない俺だ。 七香「それって残酷な考えかも」 太一「どうして?」 七香「対等でないと合わせる顔がないってことでしょ? 裏返せば、相手にも自分と対等になって欲しいってことだ」 太一「あ……そうか」 矛盾に気づく。 七香「ピーナッツ入り柿の種の尊厳を認めるんなら、弱い相手を弱いまま認めないとオカシイんじゃないかな」 太一「だね。柿の種は桜庭だけど」 俺の過去まで知ってやがる。何でもありだな……。 太一「じゃ、気が向いたら行ってみようかな」 七香「うむ。あたしもね、人間関係に資格なんてないと思ってる。太一も一緒の考えなら、嬉しい」 太一「…………」 くそ、可愛い……。 七香「部活も頑張れ。仲間が死んでも頑張れ。大丈夫、来週には笑っていられっから」 太一「うわ、不謹慎なこと言うなっ。二人死んでるんだぞー」 七香「あー、一応言っとくとあたしが殺したんじゃないよ?」 太一「えーーーーーーーーーーーっ!?」 七香「……あたしが殺したと確信していたね、キミ?」 太一「なんかさ、不思議な力持ってそうだし、アリバイとかトリックとか超越して自由に殺せるんじゃないの? 神殺人事件とか言ってさ。推理小説でも何でもないけど」 七香「うーん、神ってのは近いかもね、けっこう」 太一「とか言ってうちに俺の家だ。ひもパンいる? あげようか?」 七香「ううん、いらない。もらってもソッコー捨てる」 太一「そーかい……」 七香「帰るよ。ばい」 ふと思う。どこに帰っているんだろう、七香は。 太一「ばいばい」 七香の乗った自転車が、坂の向こうに消えた。 太一「…………さてと」 蝋燭に火を。 日記を書きながら、一日を振り返る。 昨日は曜子ちゃんが死んだ。 そして今日、冬子が死んだ。 他殺。 誰が殺したのかは不明。 霧は違うと思われる。 となると……残りは俺を抜いて四人。 この中に、仲間殺しがいる。 太一「……ヘビィだ」 しかしわからん。 思いつきもしない。 ……犯人はどういう目的で、二人を殺害したのだろう。 曜子ちゃん。 矢傷だった。 つまり罠の一つにかかったということだ。 百に一度くらいは、ミスをすることもあるだろう。 罠を仕掛けた者が、曜子ちゃんを殺したということになる。 狙って殺したのか、たまたま曜子ちゃんが飛び込んだのかはわからない。 冬子。 短剣による刺殺だ。 抵抗した痕跡はなかった。 眠るように死んでいた。 太一「……」 祠の前の足跡。 俺の靴。 そして俺に、祠の前をうろちょろした記憶はない。 記憶喪失でもない。 誰かが俺の靴をはいて、うろちょろした。 あるいは同じ靴をはいたヤツが。 ぞっとするような考えがよぎる。 もし俺が理性を失ってしまったら。 攻撃性が他者に対して向けられてしまったら。 ……動機なんていらないんじゃないか。 そもそも四人の容疑者に、曜子ちゃんを欺くほどの罠が作れるだろうか。 スキルを隠し持っていた者がいるのか。 一番納得できる犯人像。 ……それは俺自身だ。 ㈰夢遊病 ㈪二重人格 仕掛けられた精密な罠から、㈰はないと判断できた。 冷静な知能を保持していなければ、あんなトラップは作れない ㈪か。 俺は実は二重人格だった、と。 確かに記憶がない理由も説明できる。 しかし……我ながら陳腐だな、ソレハ。 こんなんだったらまだ俺が二人いたとかの方がいい。 太一「……わからん」 日記は『現時点では詳細不明』と結ぶ。 太一「ん?」 咄嗟に蝋燭を消す。外に、軽い足音。窓から顔を出す。 ……霧だ。 無人の街を足蹴にしていく。 昨日も見たな。 怪しい行動。 迫真の俺への憎悪で、一番最初に容疑者から外した霧だが……。よし、追いかけよう。途中、自転車を拝借。効率良く追跡。やがて霧は、雑木林に面した原っぱに入った。ここからは自転車は目立ちすぎて使えない。身を低くして、そっと忍び寄る。 霧は荷物からソレを取り出した。 クロスボウ——— 断じて玩具ではなかった。この国で手に入る、強力無比な武器だ。連射こそできないが。静音性に優れ、破壊力に富む。 霧は引き金を引いた。 枯れ木に矢が刺さった。 風切り音が耳に残る。 霧は新しい矢をつがえる。 コッキング装置で、装填を済ませる。 ぎこちない。 が、知っていた。 これは訓練だ。 戦うための。 では、誰と。 誰と……だろう……。 霧から黒いオーラが出ているようだ。 情感を失った瞳。 機械的な動作。 当たろうが外れようが、変わらない表情。 霧『だからっ、どうして仲良くするのっっ!?』 霧『……誰が、あんたなんかにっ!!』 霧『人殺し! 次は誰を殺すの!?』 曜子ちゃんと冬子の件は、まだ謎が多い。 けど。 霧の動機は、わかりすぎるくらいで。 一時間ほど、そうして訓練を続けていた。 気を張ってだいぶ消耗したのか、のろのろと後かたづけをして、引き上げた。平原に出て、的になっていた樹のあたりを調べる。 自宅に戻る。 気疲れしてしまった……。 桜庭がいた。 太一「……こら」 尻に蹴り。 桜庭「おお、太一」 桜庭はきゅうりを食っていた。友貴のさしいれきゅうりだ。 太一「で?」 桜庭「聞いてくれ」 太一「なんだ?」 桜庭「カレーパンに飽きてきた」 太一「……あのな」 桜庭「そこでおまえの家に来てみたら、きゅうりがあるじゃないか」 太一「だからどうしてうちに来る」 桜庭「友貴に食料はいらないと言ってしまった」 太一「な、なぜだ?」 桜庭「カレーパンがあったからだ」 その場限りの人生だな。 太一「にしても、その超巨大な荷物は何だ?」 桜庭「ああ。俺は旅に出る」 太一「……………………あんだって?」 桜庭「旅だ」 太一「おまえ……こんな状況で……トラベリング行為にふけるってのか?」 桜庭「そうだ。旅はいい」 桜庭はうっとりとした。 桜庭「こんな時代だからこそ、旅は必要だと思わないか?」 太一「じっとしとけとは思うが……」 桜庭「逆転の発想だ」 太一「そ、そうか!」 あえて、あえて旅に出る。桜庭が勝ち組に思えてきた。 桜庭「で、食料をわけてもらいたい」 太一「……まあそれは構わないけど」 友貴箱(差し入れのダンボール)から、二人で食物をよりわける 太一「で、どこ行くんだ?」 桜庭「決めてない。隣の街に行ってから、また考える」 桜庭「それにもしかしたら人と会えるかも知れない」 太一「……ふーん」 考えてないわけじゃないのか。 太一「ハンディ(無線機)は持って行けよ。電波、どこからも出てないみたいだし、たぶん通じるだろ」 桜庭「ああ、入ってる」 太一「SSBだろ? 一応、海越え用のアンテナ貸してやるから、ちょっと待ってろ」 桜庭「悪いな」 ワッチの知識はちょっぴり持ってる俺だった。割り箸とニクロム線で作った、超遠距離通信用のアンテナ。それを持ってくる。 太一「ほれ」 桜庭「ああ、すまん。これで外人ともペラペラだな」 太一「ハハハ、言葉が通じればな。桜庭、残念ながら貴様の知能では———」 桜庭「Could you pay me back the shipping charge.(お願いします、返品の送料を払ってください)」 太一「……え゛?」 桜庭「What a fiasco it is!(それはなんとひどい事件なのでしょう)」 太一「……MAJI?」 いや、これ英語じゃないだろ。 桜庭「まあ英語だったらなんとかなるだろう ……昔はアメリカに住んでいたし、少しは話せる」 なんと!こいつ……まさか……なにげバイリン。 桜庭「ロシア人だったらおまえに任せる」 太一「あ、ああ、俺って実はロシア語の方が得意なんだよね!」 桜庭「そうか」 太一「は、ははは、まあ頑張れ、か、帰りはいつになるんだ?」 桜庭「帰りたくなったとき」 なるほど。 桜庭「それとおまえには金を借りていたよな」 太一「ああちょっとな」 桜庭「いくらだったかな?」 もう金なんて意味ないのにな。 おかしなヤツだ。 太一「さあ、金額は記憶してないなぁ」 桜庭「とりあえず小銭入れごと渡そう」 財布を取り出す。 受け取る。 チャリチャリ音がした。 太一「はは、なにげバイリンのぼんにも貧乏な時があるようだな」 桜庭は穏やかに笑った。 桜庭「まあな。金持ちと言っても、そんなもんさ」 太一「ははは」 桜庭「ハハッ」 笑い合う。ガッ、と腕を交差させた。友情が深まった。 太一「どれどれ、いくら入ってるんだ?」 財布を開く。案の定、紙幣は入ってなかった。十万円金貨が十五枚入っていた。 太一「ミスター円!!」 卒倒。 桜庭「どうした?」 太一「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ」 芋虫のようにのたうちまわった。なにこのサイフっ!こんなスッゴイの初めて!!よく見たら十万円金貨だけではなかった。 昭和天皇ご在位60年10万円金貨×8 天皇ご即位記念10万円金貨×7 皇太子殿下御成婚記念5万円金貨×2 国際花と緑の博覧会5千円貨×4 皇太子ご成婚5千円銀貨×3 それだけしかない。 太一「アホか!」 桜庭「なかなか買い物に使えなかった」 太一「当たり前だ!」 こいつ……こんなにあっさり大金を……。 まさか桜庭の中では……十万円は大金ではない……ではない……ではない……?(エコー) 太一「はっ?」 人類滅亡前、まだ金が意味のある時代に一度でもせびっていたら。 太一「おうおうおうおう!」 桜庭「なぜ泣く?」 太一「おおおおおぉぉぉぉっ!」 神はいじわるであらせられる! 後悔しまくりの俺だった。 桜庭「あと足りない分はこれで補ってくれ」 荷物から木箱を取り出す。転げると古めかしい山水図だった。 太一「これは?」 桜庭「高そうなヤツを適当に選んだ」 太一「作者は……ええと……鑑定書があるな。伝周文筆さんか」 桜庭「有名なのか?」 太一「調べよう」 睦美さんの部屋から、それ系の図鑑を持ってくる。 太一「安物だったら掲載されてもいないだろうが」 桜庭「それは困ったな。一番高そうなやつだったんだが」 太一「伝周さんよ、アンタいったいどんだけきばってくれるんだい?」 国宝と重要文化財。 太一「————————————」 気絶。 桜庭「おい、太一! 太一!」 ……………………。 太一「おまえ……これは本物だとしたら……国に対する冒涜になるんじゃないか?」 桜庭「そうか? 焚き火のネタにしかならないと思うけどな」 文化破壊者……こいつは文化破壊者っっ。俺は子猫みたいに震えるだけだった。震えていると、桜庭は唐突に言った。 桜庭「それで……おまえも一緒に行かないか?」 太一「え……俺も旅に?」 桜庭「友貴も誘ったんだけどな。あいつはここでやることがあるそうだ」 太一「まあなぁ」 桜庭「どうだ?」 太一「……面白そうだけど」 みんなの顔がよぎる。幾多の謎とともに。 太一「パスしとく」 桜庭「そうか」 さして残念でもなさそうに、桜庭。 桜庭「ならもう行こう」 太一「せめて明日にしたらどうだよ、山越えるなら危ないぞ?」 桜庭「今行きたい気分でな」 太一「あー、遭難するタイプ」 桜庭「じゃあ食い物もわけてもらったし、行くことにする」 太一「うむ」 見送る。 太一「あ、そうだ、訊いていいか?」 桜庭「ん?」 太一「おまえ、放送部の中で殺したいほど嫌いな奴いる?」 桜庭「いない。みんな好きだ」 太一「お盛んだな」 桜庭「そういう意味じゃない。俺は精神的には不能だから、そっちの欲望はほとんどない」 実はそうなんです。 桜庭「俺の性欲は、あの日、あの時のおまえに奪われたままさ」 嬉しそうに。 太一「キモいからやめれ」 桜庭「いや、俺みたいな突発的な人間には、強すぎる性欲なんてない方がいい。その分、他でしたいことをしてるしな」 桜庭の鼓膜が破れたあの日。こいつは嘘のように落ち着いたという。そして同時に、性欲も失われた。 何が原因なのかは不明。失恋の痛手か、悟りを開いたのか。それは桜庭にもわからない。 太一「もう一つ質問。おまえ、人殺したことある?」 桜庭「いいや、ない」 太一「……そうか。わかった。行ってこい」 桜庭「ああ、じゃあな……」 見送りながら思う。あいつが犯人だとしたら、みすみす逃がすことになるんだよなぁ。でもまぁ、いいか。たぶん違うだろうし。 こうして。 桜庭はいなくなった。 CROSS†CHANNEL 早朝。 惰性で部活に来てしまう。 放送局の準備は、まだまだできていない。 友貴がいた。 太一「おは」 友貴「……太一か」 太一「どした?」 友貴「……これさ、もうだいぶできてるなって思って」 太一「まあ先輩が頑張ってたからな」 太一「必要な機材も運んだし」 友貴「……いつできるんだっけ?」 太一「日曜じゃないかな。当初の予定だと」 太一「手伝うか?」 友貴「いや、やることあるから……」 太一「桜庭さあ、旅に出たぞ」 友貴「みたいだね」 太一「誘われたさ」 友貴「こっちもだよ」 太一「あと俺は億万長者になってしまった……」 友貴「へえ」 反応が薄い。 他のことに気を取られていた。 太一「冬子が死んだよ」 友貴「…………なに、言ってるんだよ」 顔が引きつる。 太一「なーんちゃって」 友貴「おまえはー!」 太一「やるかー!」 友貴「……やめとくよ。そんな気分じゃないし」 校舎に戻っていく。 太一「参加しないのかー?」 友貴「……姉貴とケンカ中だしな」 太一「先輩、来るの遅いから午前だけでも手伝って行けよ」 友貴「うーん……わからないところとかあるの?」 太一「機材の配線わかんねー」 友貴「仕方ないな」 友貴は午前中だけ手伝ってくれた。 昼。 友貴と別れて、一人で昼飯。 人気のない食堂。 持ってきた食パンにジャムを塗って、機械的に胃袋に放り込んだ。 太一「……貧しい食生活だ」 太一「ん?」 背後に視線を向ける。 誰もいない。 気のせいか。 見られている気がしたが。 そして部活。 友貴が結線してくれたので、テントを張って長テーブルを出して、機材を置いた。 太一「あとはアンテナか」 図面にはまだ問題点が残っている。 放送には影響はないかも知れないが。 部活であるからには、ちゃんと予定通りやらねば。 作業。 気配。 周囲に目線を流す。 誰もいない。 気のせい……ではないのかな。 となると、ここは危ない。高所は。 じっと脚立の上というのも良くない。 射程距離はともかく、有効射程が20メートルくらいとして。 太一「もう一がんばりなんだけどな……」 ちょうど先輩が来た。 見里「寝坊してしまいました〜」 太一「生活がどんどん荒れてきますね」 見里「……ははは。言葉もないです。本当、もうおしまいですよねぇ……」 太一「え?」 見里「あ、テントです」 太一「配線も終わってますよ」 見里「ま、まさかあなたが?」 太一「はい、先輩のために……」 見里「すごいですっ! かゆいところに手が届きます! ぺけくんのすごさはもはや———」 太一「と言いたいところですが、友貴です」 見里「……」 まず呆れた。そして驚いた。律儀だ。 見里「友貴が手伝ってくれたんですか?」 太一「正しくは手伝わせたんですけどね」 見里「そう……でも……手伝ってくれたんですね、あの子……」 安堵が浮かぶ。 太一「良かったですね」 見里「……はい」 太一「ところで先輩、俺ちょっと腹くだして……交代してもらっていいですか?」 見里「はい。ここまでやってくれたら、もう一人でもいいくらいです」 太一「てっぺんのアレ、ネジ馬鹿になってますから交換した方がいいです」 見里「了解です」 太一「……では、ちょっと闘ってきます」 見里「ふぁいとーおー!」 声援に片手で応じつつ、俺は校舎に入った。 さあ。訓練の成果を見せてもらおうじゃないか。霧は隙を狙ってくるはずだ。食堂でも屋上でも、俺は察してしまった。だから攻撃はなかった。 ……誘い込むのは簡単に思える。トイレに入る。出る時に、一瞬殺意が感じられたが……すぐしぼんだ。 廊下をゆっくり歩いた。 そう何度も攻撃を仕掛けようとは思うまい。 確実な場面で。 仕掛けてくるはずだ。 ……廊下では何もなかった。 今日は暑かった。海にでも行きたい気分。そういえば、去年はみんなで海に行った。楽しい海だった。今でも、皆のはしゃぎようは思い出せる。 冬子「きあああっ!? どこつかんでんのよっ!?」 太一「水着のお尻のとこの布」 見里「支倉さんって……黒須君とどういうご関係なんでしょうねぇ?」 太一「ん、曜子ちゃん?」 冬子「曜子ちゃん!?」 見里「曜子ちゃんっ!?」 美希「曜子ちゃんっっっ?」 友貴「曜子ちゃん!!」 美希「ヤクザですねもう」 見里「カ、カラダはいやぁ〜」 遊紗「あのっ、失礼しますしますしますっ!!!!」 冬子「ばーか」 遊紗「あっ、くるっ、くるるっ?」 美希「い、いたい〜、おでこいたい〜」 見里「……ぶつぶつぶつ」 太一「楽しかったけどな」 楽しい海水浴はこれでおしまい。 美希の傷は、ほんの少しだけ跡が残りそうだった。 それでも帰り道、本人は晴れ晴れとした顔をしていた。 傷ついたかわりに、何かを得たような。 そんな顔だった。 そのあと、見里先輩が放送部用のアンテナ搬入につきあうため、学校に戻って。まだ姉とは断絶していなかった友貴が、皮肉を言って。そのシスコンぶりを、当時まだ群青付属三年生だった美希にからかわれて。遊紗ちゃんが、集団というものに対してはじめて、小さく心を開いた。 そんな海だったんだ。 ……なのに、その結束も、殺し合うほどに崩壊してしまった。 心が揺れる。 どうして、こんなことに。 苛立ちがおさまらない。 いっそ。 すべてなくなってしまえばいいと思った。 それから俺は、適当に街をぶらついて時間を潰した。 攻撃はなかった。弱虫である。 で。 戻ってくる。やはり慣れた空間でないと、困難なのかもな。 ああ、しかし。 俺はなにをしているんだろう。 誰もいない。 少し前まで、冬子がいた。人が失せても、自身の行動を改めまいとする冬子。 ……自立に苦戦してはいたけど。 太一「気にくわないこともあるだろうけど、明日から部活、来てみないか?」 などと独白する。冬子がいたら、そう言ってやろうと思っていたのだ。遅すぎた言葉だった。 そしてまた屋上に来た。 先輩が作業している。 見里「うんしょ、うんしょ」 軍手をして頑張ってる。戦争中につき、御免。そっと扉を閉めた。このあたりか。 椅子に座って待機。漫画雑誌を読んで、適当に時間を潰す。ただし意識は周囲に。 近づいてくる。 そっと、そっと。 殺意が。 自身嫌っているだろう悪意を、周囲に発散しながら。緊張の糸が張られた。 来るな。 ドアが五センチ、静かに開かれる。 だが俺にはわかっていた。これだけの殺意なら、常人にだって感じとれるだろう。黒光りした矢尻が、俺に向く。 叩きつけられる殺意。 タイミングをはかって、わざと横転する。 霧「……あっ」 直前までいた場所を、矢は通過していった。跳ね起きて、廊下に飛び出る。走り去る霧の背中。 太一「はは……」 追いかけた。このおいかけっこは、月曜のものとは違うよ、霧。愉悦に身悶えする俺がいた。 追いかける。 霧は逃げる。時折背後を振り返りながら。俺を認め、さらに速度をあげた。 ……疲れるだけだぞ霧。 正門を抜けた。街に行く気か。武器を抱えた霧の速度は、決して速くない。ペースを考えて追った。矢をつがえさせないよう、休ませないよう、適度に。 やがて霧は山道に。自滅するな、と思った。 そして。 霧は祠で、力尽きた。 草むらに隠れている。 太一「……霧、とうとう……実行しちゃったな」 宣戦布告を。 闘争を。 この俺と。 太一「俺の敵になっちゃったな」 霧「は、はっ、は……」 荒い息を必死で整えている。そして矢を装填しようと、焦っている。草むらの向こう。手間取っている霧の様子が想像できる。よほど熟達していなければ、いざという時スムーズにできるものじゃない。霧はここでゲームオーバー。 俺はナイフを抜いた。殺す必要はないと思う。 けど抜いた。 なぜか。 あまりにも強い本能が、俺をそう行動させた。 後づけの理性だ。 少し不安定になると役に立たなくなる。今も恐怖を与えるため、草むらの垣根に刃だけを刺し通す。 霧「……きゃ……は、はぁぁ」 それだけで、恐怖一色に染まる。そして俺は。 太一「っっ!!」 身体のバネを全部使って、上体をそらした。第二射。漆黒の矢が、コンマ一秒前の額があった空間を射抜いた。今のタイミングで! しばらく呆けていた。 五秒ほど。 感心とショック。霧が俺を完璧に欺いていたことの。草むらを切り払う。向こう側に……すでに少女の姿はない。背の高い雑草をかきわけて、山道に戻っていく音だけが聞こえた。追う気はなくなっていた。 太一「……ハハ、すげぇ」 死ぬところだった。 死。 太一「ドキドキしてる」 胸に手を当てて確認した。この興奮。俺は生きている悦びを、暗い手段で味わっていた。 夜自室。 日記を書いて、眠る。 霧は今夜、襲ってくるだろうか。 俺はうまく察知できるだろうか。 いい夢を見ることができそうだった。 CROSS†CHANNEL 夜襲はなかったか。 ……俺のホームグラウンドだしね。罠があるかも知れないし、無茶はしないか。 学校に向かう。 で。 友貴が死んでいた。 太一「…………」 容疑者が減った。そして犠牲者が増えた。 太一「友貴……」 無惨な死に方だった。太く長い、資材用の針金で胸を貫かれている。偶然……というには、あまりにもレアなケースだ。人為的なものだ、これは。 だから犯人は——— 太一「……もう……終わりだな」 世界は、終わる。そんな予感がした。霧はもう壊れているし、桜庭も戻るまい。俺が人でいる必要もない。 ……結局、すべては無駄なあがき。狂人は常人にはなれない。他人が理解できないなら。理解などしなくていいと思った。 もう——— ものいわぬ友貴の骸を前に、俺は寂寞〈じゃくまく〉とした空気に身をさらしていた。モノローグさえいらない。俺は自分を語る言葉を、急速に見失いつつある。 霧はどこだ。 校内にはいないのか。 自宅にはいないだろう。 徘徊。それだけ。 霧……。 いや、誰でもいい……。 そうだ。先輩。 アレはいつも屋上にいた。 いない。 フェンスが折れていた。 先輩は死んでいた。 人が落ちると、ピンク色の花。 太一「…………」 ああ。 血が薫〈かお〉る。 よくわからなくなってきた。ああもう本当に。今まで……なんのために苦労してきたのか。 自分をおさえて。 そして。 回避。 矢が通過。 霧。 いた。 いたぁ♪ 霧「……人殺し!」 霧は赤い筒を逆さにする。消化器、だったか。 白煙。 太一「……ぐっ」 視界が曇る。 ……慣れてきたな。霧の気配。飛びかかってきた。 手首をつかむ。刃物が握られている。 強く掴む。 霧「ううっ」 霧は離さない。獣のように怒りを剥き出しにしている。さらに強く。 霧「う、ううううっ」 痛いはずだ。こんな細い手首。簡単に折れる。 けど離さない。ああ。友貴の骸を見たのかな。 俺がやったんじゃないのに。揉みあっているうちに、欲しくなってくる。 霧。馬鹿だけど、可愛い霧。 唇を吸う。 霧「ん、んんんんんんんんっ!?」 太一「……っ」 舌を噛まれた。切れてはいない。思考がクリアになる。 太一「……霧……犯人は俺だ」 霧「ううっ、今さらぁ!!」 ナイフを握る手は、微動だにしない。 太一「違う」 霧「……なにを、アハハ」 嘲弄。 +涙。 霧の感情は、もう壊れかけている。 霧「美希をとるな」 太一「美希だ。犯人は、美希だ」 霧が止まった。それは今のコイツを停止させる、唯一無二のキーだったんだろう。風が切れた。 霧「うあぁ……?」 肺腑〈はいふ〉から奇妙な声がもれた。 それで致命傷だとわかった。同時に、大腿部に苦痛を感じていた。 矢だ。霧の薄っぺらい胸を貫通して、俺の大腿部を射抜いている。顔を持ち上げた。 太一「……やっぱり」 美希「あはは、先輩を倒せたのははじめてですね」 無邪気だった。 太一「…………」 霧「……う……あれ……? 美希?」 太一「霧……」 ナイフが落ちる。身を起こそうとして……失敗する。 太一「痛っ」 霧「……わたし……撃たれたの?」 太一「ああ」 霧「誰が?」 太一「…………」 霧「うそ……こふっ」 口からも血がこぼれ。 霧「は、くるひ……美希……み……」 美希はじっと霧の断末魔を眺めている。感情は一切、読み取れない。 太一「馬鹿なことを……友達、だったんじゃないか」 美希「…………」 霧が咳き込む。大量の血。 太一「おまえは誰だ」 美希「美希です」 太一「違う。美希はそんな強靱じゃない」 美希「……鍛えられたんですよ。先輩たちに」 こいつ……。 太一「霧……」 霧「美希……どこ? うしろにいるの? ふりむけなくて……」 霧が身じろぐたび、脚に激痛が走る。それで。俺は理性を取り戻すことができた。 霧「美希じゃないよね? うったの……ちがうよね?」 美希「ちがくないよ。わたしだよ」 霧「え……? ……うそだぁ」 太一「霧」 俺を見あげる。胸を射抜かれては、それしかできなかった。 霧「……むじ、つ?」 太一「でもないけど。俺は誰も殺してないよ。殺したくない」 霧「………………ごめ……な……」 謝罪の言葉も成り立たず。俺はそっと、頸動脈に指を添えた。 太一「寝ろ。夢だ。起きたら、いつも通りの毎日だ」 矛盾のある言葉に、しかし霧は笑った。 霧「あは」 軽く締める。それで充分。 霧「……ぁ………………」 優しく、殺した。 美希「……!」 太一「痛っ……」 骸を矢ごと引き抜く。大腿の傷は浅い。が、移動力はもうないに等しい。 太一「……俺も殺すのか?」 美希「とどめ、さしてあげたんですか?」 太一「ああ」 美希「優しい、せんぱい」 太一「俺も殺すのか?」 美希「はい」 太一「理由は?」 美希「……知りたいですか? 暴走した先輩って、理性なくなっちゃってると思ってたんですけど」 太一「へえ、俺のことも知ってるんだ」 美希「支倉先輩のこともです」 太一「……どうしてみんなを殺した?」 美希「殺してないです。わたしは」 太一「じゃ誰が殺したんだ」 美希「偶然です」 太一「……美希、ふざけないでくれよ。マジな話してんだぞ」 美希「本当です。偶然なんです。わたしは見えない手って呼んでます」 太一「見えない手?」 美希「たまにこういうことも起こりうるんですよ。最初は……支倉先輩ですか。あの人が死んだのははじめてですけど。罠を仕掛けたのはわたしですけど、死んだのははじめてです」 太一「……あのトラップは美希だったんだ」 美希「はい。先輩に教えてもらって」 太一「教えてないよ」 美希「ずっと前です。もう何十週間も前。あの場所に近寄って欲しくなかったので、警戒してるんです。本当の目的は接近者をわたしが察知することで……罠があれば慎重に移動してくれますから。逃げる時間ができる」 太一「……場所って?」 美希「あそこだけ、ループから免れてるんです」 太一「ループ……」 美希「世界はこの一週間を、何度も繰り返してるんですよ、先輩」 そして美希は話した。月曜日から日曜日の一週間。世界はそこまで経過しては、また月曜日の状態に戻るという。 ループ。 美希はそう呼んでいた。 太一「信じにくい話だな」 美希「嘘つく意味ないじゃないですか。記憶も状態も、全部元通りになるんです。だからその霧ちんも、また来週になれば復活です。もちろん、月曜日に戻るわけで殺された記憶はないと思いますけど」 太一「それが真実だとして、どうして美希がそれを自覚できるんだ?」 美希「祠だけは時間の経過を免れてますから」 太一「……つまり……祠に住んでるわけか」 美希「日曜の終わる瞬間だけですけど」 太一「……で、ループしてるからといって、どうしてみんなを殺したんだ?」 美希「わたしは死ぬわけにはいかないからです」 太一「話が繋がらない」 美希「……わたしが最初に祠のことに気づいたとき、すでに祠にはノートがありました。ノートには、土曜日までの毎日が克明に記されていて、筆記者は先輩でした」 太一「俺が……?」 美希「先輩と支倉先輩は、こういうループ現象で毎回記憶をリセットされてるのに、かなり高い確率で真相に気づくんですよ。でも忘れちゃうから、日記形式で祠に記録を残すことで……まあ翌週の自分が事態を把握しやすいようにしてるんだと思います。でも祠にいれば、固有の時間が保たれることは気づかなかった ……来週になれば、全員の記憶はクリアされます。でもそれって死んで生まれ変わってるのと一緒ですよね? いくら日記に書いても、リセットされるまでの時間は、補いようがないですよね? 毎回死んでるってことじゃないですか」 太一「……」 美希「わたしはそんなのいやです。わたしっていう固有の人間は、ずっと同じ繋がりの上に生きていたい世界がもうこれっぽっちも進まないとしても……。わたしは、自覚のない繰り返しにはいたくない」 太一「気持ちはわかるが……それでどうして皆を殺した」 美希「だから偶然なんですよ、それは。繰り返しがあれば、たまたま支倉先輩が罠にかかることもあるでしょう?」 太一「百回にいっぺんくらいは」 美希「で、たまたま冬子先輩が死んだり、島先輩が死んだり、みみ先輩が死んだり……することもあるんですよ。それが今回だったんです」 太一「犯人は……罠を仕掛けた最初の一件をのぞけば……偶然だってのか?」 美希「偶然は、たまに見えない殺人者になります。ループ世界では、たまに、というのは確定された出来事なんですよ」 太一「冬子は刺されてたぞ?」 美希「わたしです」 太一「はあ?」 美希「冬子先輩は、毎回高確率で餓死するんですよ。で、今回はもう死んでいたんで、死体に短剣刺しときました」 太一「理由は?」 美希「……霧ちんのスイッチが入るように。霧ちんが先輩を殺そうとするように」 太一「……美希……」 美希「あ、先輩が嫌いなんじゃないんですよ? ただ……あなたは危険だから。あなたも高確率で、暴走するじゃないですか。血を見ると、よくおかしくなりますよね?」 太一「……ああ」 美希「今まではなんとかやりくりして、安定させてきたつもりです」 太一「……はは、俺のおもりしてくれたんだ」 美希「はい♪ 優しいときの先輩は、大好きだから」 感情が宿ったのは一瞬。 美希「……でも、今回は支倉先輩が死ぬというイレギュラーが発生しました」 無表情に戻る。 美希「あの人、ほとんど人間離れしてますんで、わたしのキャンプもよく見つかります」 太一「キャンプって祠のそばにあるの?」 美希「はい。合宿の荷物、借りまして……あ、動かないでください」 太一「止血したい……」 美希「ごめんなさい……それは許可できないです……」 太一「殺すから?」 美希「……はい」 しゅんとする。 太一「……はぁ……なんつうか、またその話が本当ならまた生き返るんだろうけど」 美希「支倉先輩なんですけど、見つかったときはすぐ降伏してるんですよ。情報提供だけして」 美希「やっても勝てっこないですからね」 太一「懸命な自愛っぷりだ」 美希「支倉先輩がいなくなった時の、あなたの反応は未知のものでした」 美希「……霧ちんが悪意ノイローゼになったのもありますけど、あっという間にキレかけてましたよね?」 太一「うん、そうだね」 美希「わたし、死ねないんです。おっしゃる通り……自分が大事なんです、すごく」 美希「誰よりも」 太一「…………なるほど。それがキミの群青色ってわけだ」 美希「……はい、そーなります。人の痛みとか全然わからないので。人のフリだけして生きてるようなものです。これ、霧ちんがいつだか先輩を責めるときに使った言葉です」 太一「……記憶にないが?」 美希「あ、そういう展開になったことがあるですよ」 太一「ああ、リセットされる前の俺ね」 美希「先輩は擬態してるわけじゃないですよね。ただ……人であろうとしているだけですよね。で、本当に擬態して寄生しているのは……わたしだったりするんです」 太一「……ずっと祠に隠れてるってのはダメなの?」 美希「……それでもいいんですけど…… 退屈で、気が狂いそうになりますよ?」 太一「ああ……そうだね……」 美希「適度にみんなの精神状態保って、支倉先輩と交渉して、気をつかって……そういうことを延々と繰り返すわけですよ」 太一「大変だ」 美希「でも、そんなことをしている時は、ただ無邪気なままの自分でいられて……先輩とばかやったり……みんなと部活したり……」 太一「……祠にいると、主観的な時間は保護されるとして……いつか美希が大人になったら?」 美希「……考えてません。いつかは無理が来るので、リセットをかけないといけないんでしょうけど。それはもう……今のわたしとは違う人ですから……」 太一「こわいんだ?」 美希「こわい。自分がなくなるのは、こわい」 涙を流す。 美希「こんな誰もいない世界で、なくなってしまうのはこわい……でも。わたし、なぜかひとりぼっちみたいな気がして」 太一「…………」 美希「なんだか、虚しくなってきたんです」 美希が武器をおろす。 美希「今先輩と話して、さらに虚しくなっちゃいました」 太一「うむ。校長クラスの長話っぷりだったからな」 美希「……全然こわがらないし」 太一「興味深い話だったぞ」 美希「……あはは……やっぱ、先輩はわたしよりすごい人ですね」 太一「曜子ちゃんとかもっと別物だぞ」 美希「あの人は……完璧に近いものではありますけど……まとまっただけの人間そのものじゃないですか」 美希「あなたは違う。わたしと同じで、わたしより重いのに、わたしの何倍も頑張ってる。諦めてない」 近寄ってくる。 美希「先輩?」 太一「ん?」 美希「わたしがはじめて、好きになれた人なんです、あなたは」 太一「ああ、そりゃ光栄」 目を閉じる。殺しやすいよう。そして。 美希「……さようなら、また来週」 太一「また来週」 俺の意識は閉じた。 CROSS†CHANNEL 太一「いってぇぇぇ……」 疼痛に叩き起こされた。 太一「はっ、ここはマイシークレットルーム?(俺の秘密の部屋?)」 あ、服も制服じゃなくなってる。怪我も手当てされてる。しかもいい仕事で。曜子ちゃん……死んだんだよな。 美希「あ、おはようございます」 美希が入ってきた。 太一「キミはミッチー!?」 美希「ミッチーです。だいぶ強引ですが。この家、なにも食べ物ないんですね。近所から米とみそを盗んでしまいました」 太一「あー、睦美さんなかなか料理する暇ないからね」 必要な分だけ買ってきて作るのだ。 美希「痛みます?」 太一「痛いよー」 泣いた。 美希「あー、よしよし。はい、生理薬です」 太一「いらんわい!」 投げ捨てた。 美希「いや、鎮痛効果あるので……これ」 太一「あ、そーなんだ、ごめん」 美希「料理作りました」 太一「……この星形の巨大こんぺいとうのような物体は?」 いびつすぎて、滅茶苦茶美しいものに仕上がってる。 美希「握り飯です」 太一「才能なさすぎて天才の域に入ってるね」 美希「え……?」 太一「どう握ったらこんな形になるんだ」 美希「ふつーに」 太一「神秘的な握り飯だな」 食ってみる。 太一「うわ、うまい」 美希「具はいくら」 太一「……ほう」 塩味が強い。血の足りない体に、染み渡る。 たちまち三つともたいらげた。みそ汁は一気のみ。 太一「……ふうぅ」 美希「お粗末様です」 太一「傷は痛むが、Hは可だ、美希」 美希「少しは疑問に思ってくださいよ」 太一「……じゃあ」 美希「じゃあなのか……」 太一「どうして俺のこと生かしてるの?」 美希「……んー、なんとか暴走がおさまっていたっぽいのと……あと。全部知った先輩と、話をしたかったから……かな」 太一「あのさ、気絶させられる前に……」 美希「わわーわー! あれナシ!」 手をばたばた振る。 美希「あの時は殺す気だったんですますから!」 太一「……もう聞いちゃったしなぁ」 美希「う、ううう〜」 顔が赤い。 太一「羞恥の感情はあるようだ」 美希「そりゃ、喜怒哀楽はありますよ。他人に対して無関心なだけです、ぷい」 自分でぷいと言って、美希はそっぽを向いた。 太一「遊び相手にされてるだけだと思ってた」 美希「……それもあるですさ」 あるんかい。 太一「なあ……もしかしてこの世界って、生きてるの今二人だけか?」 美希「さくらばせんぱい……」 太一「あいつ野たれ死ぬだろ。たぶん。もう死んでるかもしれん。転んで荷物に頭打って……とかで」 美希「……ありそう」 太一「少なくなったなぁ」 美希「来週になれば、また全員復活です」 太一「俺も祠にいれば、今の自分を保てるわけ?」 美希「はい、そーですよ。今の自分で生きますか?」 太一「うーん。今週の記憶は、ちとつらいものがあるなぁ。……なんつうか、みんな死んでるのに平気って部分でさ」 美希「…………」 太一「心がな、泣かないのよ ……それは、忘れてもいいかなって思うよ」 美希「そうですね」 太一「もし世界が繰り返しなら……幾度となく暴走して、人を傷つけるかもしれないだろ? 友達や家族や仲間や好きな相手をさ。何度も何度も殺して……その記憶を持ったまま生きるって…… きっと、心が壊れる もう壊れてるけど、もっと壊れる。心が死ぬね」 そこまで言って、美希に示唆していることに気づく。 太一「あ、ごめん……」 美希「いーえー。実際、そんなことになってます。ひどいときなんか、暴走した先輩から逃げるために、みんなを犠牲にしたこともありましたよ」 太一「あー、それはすまなんだ。俺の不徳のいたすところだ。まあ自分が可愛いのは正常だろ。いいんじゃないか?」 美希「……でも」 太一「そりゃ自己犠牲もいいけど、そんな美しいものにばかりなってられん。美しさを強要する世界だったんだよな。俺はさ、世界に受け入れてもらうために、一生懸命フレンドリーでいようとしたけど……何年も頑張って、なにも変われないでいるんだ」 美希「……そうですかぁ」 太一「なんかな、そういうのを好きになってくれるヤツもいるってのは、ありがたいことだよな」 美希「…………ぁぅ」 太一「遊紗ちゃん、おぼえてるだろ?」 美希「はい」 太一「どうしてあの娘、いなくなったと思う?」 整った造作が、わずかに位置を変えて、見事に疑問を表現した。 美希「先輩にひどいことされた?」 太一「当たり。結局、俺は彼女に着飾った表面だけを見せてたからさ」 太一「……ショックだったんだろうね」 美希「七度」 太一「え?」 美希「わたしいつも霧ちんを利用してるんですけど、本人にそれがばれた回数です」 太一「……けっこう多いね」 美希「ヘマ多いんで」 太一「そういや、月曜のキックの鋭かったこと」 美希「えはは」 太一「ずっと一人でサバイバルしてれば、体の使い方もうまくなるやなー」 美希「自分の才能に酔いしれますよ」 太一「……で、霧ちんはどうだった?」 美希「いやあ」 にへーと笑う。 美希「もう最初は呆然自失で。あとは……」 翳〈かげ〉る。 美希「……まー、相応の対応を受けました」 太一「つらい?」 美希「……つらい……ような気がします。どうでもいいって気持ちもありますが。でも習慣づくんですよね。今までペアだったんだから、ずっとペアでもいいじゃん、みたいな ……気持ちも」 太一「俺も似たようなものだなあ」 美希「いやー、生きるって……」 太一「難しいね……」 美希「はぃ……」 ダブルしんみり。 太一「で、どうする? これから?」 美希「ああ、そうですねぇ。どっちにしろ、明日の昼には祠にいたいですから」 太一「俺はその世界のリセットっての、体験してみるわ」 美希「はい、じゃあわたしは……」 しばらくためらってから、美希は身を寄せてきた。回避した。 美希「がふっ」 寝台に突っ伏す美希。 美希「あー……あんたな」 太一「すまん、つい」 美希「ダイナシだ……」 CROSS†CHANNEL 起きると、美希は腕の中にいた。 美希「ふわ……」 目が合う。 美希「……きゃあ!?」 太一「おい!」 美希「え、あれ? これって?」 動揺しているではないか。 太一「おまえな……」 美希「くす……だってぇ、普段のセクハラのイメージしかないんですから」 太一「……うーん」 美希「がぶ」 鼻を噛まれた。 太一「いてえっ!」 美希「そんでちゅー!」 飛びついてきた。 太一「おっと」 真正面から抱き合って、チューをした。 美希「んん……んー……んんん……」 朝の唾液交換。 美希「う……こ、こりは?」 太一「いや」 美希「……します?」 太一「したいけど……時間平気か?」 美希「あー……」 美希「じゃあかわりにちゅー!」 女の子はちゅーが好きなのか。 美希「んー」 日曜は目覚ましを十時にセットしているのだが。 丸々一時間、美希とちゅーをしていた。 美希「ちょーん」 制服をキッチリ着こなした美希がいた。 美希「すっきりさっぱりー」 太一「うむ」 美希「太一くんもー、すっきりさっぱりー」 太一「うむー」 二人で水風呂に入ったのだ。秘蔵の汲み置きだったのだが、どうせ今日で最後なら関係ない。 美希「……なにしてるです?」 太一「ほれ」 美希「あー、ひゃっこいビン!。え、どうやって?」 太一「風呂入ってる時間、小型冷蔵庫の急速モードで冷やした」 美希「ビー玉の入ったラムネだぁ」 太一「田崎商店にて80円」 美希「きれー」 太一「ビー玉を通して世界を見ると、きらきらと美しいのだ」 美希「夏っぽいです」 太一「うむ」 二人でラムネを飲んだ。 美希「きれいになったし、ラムネもゴチになったし、そんじゃそろそろ行きますかねー」 太一「俺も部活に行こうっと」 美希「……本当に部活に行くんですね」 太一「準備はできてるし。あの折れたアンテナでも、届かないことはないだろう」 美希「あの。一緒に、同じ時間を生きませんか?」 問いかける瞳。真剣に。 太一「……ありがたいけど」 美希「そうですか」 太一「忘れたいんだよ。なんか後味あまり良くないし」 美希「……毎週、先輩を見てきました。それぞれの先輩は、同一人物じゃないんですよ?」 太一「そうなるね」 美希「今生きて、話してるわたしたちは、今一度きりの自分なんです」 太一「でも美希。忘れてる。俺の理性は、すごく薄くて破れやすいものなんだ」 美希「あ……」 太一「いつも一緒にいたら、美希が危ないよ。美希はすごく可愛いから、つい力が入ってしまうかも知れないし」 頭を撫でる。 美希「……ままなりませんね」 太一「そういうものだよ。まあ甘えたかったら、いつでもその時々の黒須太一を頼ってくれ」 美希「…………」 返事はなかった。 太一「さあ、行くか。途中までは一緒だな」 美希「はい」 歩く。途中、美希が手を繋いできた。 太一「……ん?」 美希「お借りします!」 太一「うむ」 神妙な。美希の手は小さく、細かった。こんな手で、八人だけの世界の調停役として、生き延びてきたのだ。走る俺にキックを入れたタイミングもそうだが。屋上で霧を助けた時の動き。あれはただごとではなかった。刹那の硬直を弾いて動く者。ここに凡と非凡の差がある。生きぬいて、自らをそこまで鍛えた美希。感心の一語に尽きる。 太一「じゃ、ここでお別れだな」 美希「…………」 手を離さない。 太一「美希?」 美希「あ、あのー、えーと」 太一「まだ話したりない?」 美希「はい、実は……」 太一「実は?」 美希「ええと、そのー、あー、確か……」 停滞。助け船を出す。 太一「そういえば」 美希「はいっ」 顔が輝く。強くなっても無邪気だった。 太一「屋上で霧を助けたろ?」 美希「ええ」 太一「俺は目だけはいいからわかるんだけどね」 美希「……はあ?」 太一「あれは打算する者の動きではなかった」 瞳が見開く。 太一「とだけ言っておこう」 美希「……………………」 天啓に打たれたように、立ち尽くす。 太一「……今の美希のまま、生きろよ。せっかくそこまで今の自分を保ったんだ。ずっと先を生きる別の俺を、すっげー大人のいい女になった美希がおちょくるなんて、楽しそうだ」 美希「……え、ええ……わたし、すっげーいい女になりますから……」 掠れた声。 太一「よし、そんなとこだ。あとこれ、日記。しっかり祠におさめておいてくれよ」 受けとる手が弱々しい。 美希「…………はい」 身をかがめて、最後のキス。すぐ離れる。 美希「……」 太一「ではでは、また来週」 この挨拶は気に入った。クールに決めるぞ。折り目正しく踵を返す。紳士的に歩いていく。 美希「……先輩!」 止まる。 美希「今週もー! お世話に! なりましたっ!」 応援団風の挨拶に、口元がゆるむ。 太一「……おう」 美希「また、来週!」 手をぶんぶん振る。そうそう。一人で生きようとする者は、気張ってな。自分を大切にするのは、時としてつらい道だけど。極論ではあるが。自己犠牲は、ひるがえせば全て自分のための行いとも言えるのだから。美希はメチャ正しい。 太一「おーう」 こうして、俺たちは別れた。 さて。俺は屋上に行き、友貴の死体を整えた。アンテナを抜いてやろう……としたが硬直していてダメだった。 太一「カタブツめ」 文字通り。椅子に座らせようとしたが、やはり硬直していたダメだった。 太一「……うーん」 仕方ないので足首を掴み肩を踏みつぶして、強引に水平にした。 ベキッ、って音がした。すまん、友貴の死体。もはやノンソウル友貴か。水平になった友貴を、フェンスに立てかけた。 太一「よし、友貴。これでおまえも部活仲間だ。二人でもやるぞ!」 友貴の死体「…………」 反応がない。屍のようだ。いや、屍だから……。 アンテナは折れていた。そう、今ならわかる。友貴はアンテナを壊そうとしたんだ。見里先輩を……姉を恨むあまり。 邪魔したんだ。 そして折れたアンテナが……友貴を……。先輩は屋上に来て、弟の死体を見た。 そして……落ちた。 友貴は偶然に殺されたんだ。 太一「まったくおまえのせいで、アンテナ短くなって大変だよ」 友貴の死体「…………」 太一「だんまりかい。むっつり野郎が」 さて。 友貴の死体と楽しく語らったところで、部活と行くか。マイクの高さを調整する。電源オン。 周波数は……このままさわらない方がいいのかな。 ま、適当でいいや。確か……こう、こうやって……これでよし。 放送開始。 太一「えーと……」 太一「んー、どうするかな」 思案する。特に主張なんてないノンポリの身。 んー。 よし! 太一「えー、こちら……群青学院放送局……局名は……えー……レッドスコルピオ、赤いさそりですね。バンバン刺していきたいと思いまーす。本日は黄泉路から、デス友貴さんをゲストにお迎えしています」 友貴の死体「…………」 太一「クールなシャイボーイです。えー。とりあえず生きてる人、います? ……もしいたら、なんつうか、生きてください。死ぬまでは生きてください。やっぱあらゆる価値観は、生きてる上に成り立つわけですもんね、デス友貴さん?」 友貴の死体「…………」 太一「イカシた寡黙ガイです。まあ、死んでもいいんだけどさ…… 人間関係って、でも自分で思ってるより大切なんじゃないかなって思う。他人からの影響が、自分を作るんだって。俺はそれを実感しちゃうんだけど、キミはどうかな? 一人で生きていけるならいいんだけど……そういう強さがあるなら。けどたいていのヤツって、弱いと思うから。俺もね。ホントに一人になったら、絶対壊れると思うんだよ。悪意ばっかりの世界だけどさ。だいたい悪意なんだけどさ ……そんでも、誰かいるわ。自分以外の誰かが。それって———」 美希「人間は、自分さえ良ければいいんですよ、先輩?」 止まる。 見る。 美希。 太一「美希……?」 美希「ノート、安置してきました」 太一「って、あれ……? 時間、いいの?」 美希「もうじきですかね」 太一「まずいじゃん。はやく戻らないと」 汗だくだ。走って戻ってきたのか。何のために。 美希「……あー、今から戻っても間に合わないかな?」 太一「何してる。はやく行けって!」 美希「こっちの用事が済んだら行きますよ。わたし、自分がすごーく可愛い属性の人ですから」 太一「用事?」 きりっと、表情を引き締める。 美希「先輩、この世界は……わたしたちのいた世界じゃないんです」 太一「なに?」 美希「これを読んでください。一番わかりやすいですから」 美希は分厚い日記帳を取り出した。 美希「52ページから」 読んでみる。 ○月×日 大規模神隠しが確認されはじめて、わずか一ヶ月。 瞬く間に人はいなくなってしまった。 いつ消えているのか。 どのように消えているのか。 消える瞬間を、誰も見たことはない。 原因を解明する暇さえ、人類にはなかった。 上見坂市の人口も、今や半分以下だ。 学生の数も減った。 黒須という学生は、相変わらずだ。 危機的状況で、変わらず騒いで生きている。 彼は重篤〈じゅうとく〉な者の一人だが、もっとも健全に見える。皮肉なものだ 私はいつ消えるのだろうか。 ○月×日 授業は自由参加になった。 学生が十分の一になってしまっては、どうにもなるまい。 私は自宅で、フィギュアばかりいじっている。 しかし見る者はなく、愛でる者もない。 自己満足に過ぎない。 家族がいなくて良かった。 家族の消失に、私は耐えられそうにない。 発電所が停止させられることになった。当然か。 ○月×日 フィギュアを処分した。 人がいなくなっただけで、趣味さえ無意味になるとは。 何もする気が起きない。 世界が安定している。 それが趣味の楽しみに繋がっていたのだ。 人嫌いの私もまた、世界と繋がっていた。 流通はかろうじて生きている。 食料も、頭数が減ったせいでなんとか賄われている。 物々交換が増えた。 無性にステーキが食いたい。 ○月×日 街に出ても滅多に人を見なくなった。 まだ生きている者はいるのか。 私は徘徊するようになった。 テレビは機能を失った。 ラジオも空電ばかりで、何かが聞こえてくることはない。 静かだ。気が狂いそうだ。 ○月×日 今日も誰とも会わなかった。 ○月×日 運送トラックが来た。 だがドライバーはいなかった。 方々を捜したがいなかった。 エンジンのかかったトラックだけが残されていた。 恐い。私は恐い。 ○月×日 トラックの物資を拝借した。 パンばかりだ。 だがカレーパンはいらん。 自分の分を何度かにわけて自宅に運んだ。 カレーパンのケースは、学食に運んでおいた。 誰か生き残っていれば、食べるだろう。 ○月×日 今日も誰とも会わない。 ○月×日 誰かいないのか…… ○月×日 山辺美希に出会う。 私は歓喜した。 だが山辺は怯えていた。とりあってくれない。 黒須がどうのと言っていた。 黒須が危険?意味がわからない。 山辺は逃げてしまった。 私は夜中まで捜したが、発見できなかった。 ○月×日 山辺が死んでいた。なんてことだ。 殺されていた。誰に。 黒須?黒須が危ないとはこういうことだったのか。 確かに黒須は重度の不適応者ではあるが。 なにか原因があったんだ。 私は人に会いたい。 明日は、黒須を捜してみようと思う。 誰でもいいんだ。 ここで途切れている。 太一「……これって、榊原の日記?」 美希「だいぶ前に、いろいろ調べたときに……見つけました。ここ別世界なんです。同じなんだけど、別世界なんです ……本来の住人のいない、からっぽの世界なんですよ。わたしたちはそこに投げ出された。たぶん、あの合宿の帰りに……」 心臓が跳ねた。合宿の帰り。 じゃあ、じゃあ——— この目が——— 太一「……どこにあったんだ?」 美希「誰の家にもたいていありますよ。ただわかりやすいのはそれです。こっちの世界の先輩やわたしってのが、別にいたわけですね。で、たぶん榊原先生は殺されたんだと思います。学院の廊下が血だらけでしたから」 太一「……俺が、か」 美希「この世界の先輩です」 太一「俺が……」 美希「この世界のです!」 太一「でも、俺だ」 日記を落とした。 太一「まったく、ろくでもない———」 美希「平気」 抱擁された。 美希「だから、落ち着いて」 抱き返す。小さな美希が、大きな安心を与えてくれる。 太一「……世界が、交差してるんだな」 その交差点が、今の一週間世界。 荒唐無稽な……SFのようで。 けど。 太一「……そんなことを伝えるために、わざわざ戻ってきたのか」 美希「はい……」 太一「意味ないじゃないか」 美希「そうですね。今気づきました」 太一「……嘘だな」 美希「はい」 太一「馬鹿か」 美希「だって…… 恋をしたんです」 太一「……」 美希「先輩と恋をして……Hして……この先輩を好きになったんです!」 ぐっと抱きついてくる。強く。 美希「今の、この先輩とです。人を好きになるって……わからなかった…… こんな痛いなんて、思わなかった! 胸が……ツーンってなって。涙が出て。鼻が出て。みっともない顔して、心が制御不能で。理屈じゃなくて ……暖かいんです」 太一「ありがたいけど……霧ちんは好きじゃなかったのか?」 美希「好き……だと思います。でも、壊れてしまって…… 霧ちんのこと、何度も殺したんです。自分が生きるために……こわくなった先輩の意識を引き受けてくれるのは、霧しかいなかったから」 俺の隙を突くために。 美希「支倉先輩と太一先輩。この二人の怪獣から、必死で生きてこないといけなかったから」 太一「ごめんな」 美希「……疲れたんです。もう、わたしは……殺したくない。きついです……あれは…… 霧ちんを一回殺すたびに、心がごっそり欠けていくんです ……そんな記憶を、何度も重ねて……抱えて……生きていく……それは……それは」 吐き捨てる。 美希「地獄です。だから……わたし……決めました……すべてを、忘れます」 凛と響いた。 決意が、言葉を尊くしていた。 太一「……美希は、いい子だな」 美希「壊れてますよ……それに人を人とも思わなかった……」 太一「俺よりはいい子だ。俺みたいなろくでもない怪獣になるには、美希はまだまだと言えるな」 美希「……」 言葉で。美希の心を叩いてみる。ノックをする手つきで。そっと。 太一「美希には才能がない」 美希「あはは……ははは……そー、ですかね……ははは……は……うぁ……」 涙声で笑う。 太一「……三人デート、楽しかったな」 美希「はい……」 太一「寂しくなったんだろ、一人だけで生きてるのが?」 美希「……そんなことないですよ。わたし、自分が一番可愛いんですから」 太一「それも嘘だな。やっと……理解できたのに」 なかったことになってしまう。尊い自分になるためなら、俺はどんな犠牲だって支払うだろう。美希もまた、それをしたに過ぎない。急に、美希に存続してほしくなる。 太一「……祠に行こう。車を使えば———」 美希「もう遅いです」 その時唐突に。 空が暮れた。 太一「!?」 美希「はじまった……」 今まで保ってきた美希が。築き上げた美希が。 リセットされる。 本当に。 本当に世界が巻き戻される。 それは……美希の主観時間のカット。つまり。 部分的な消滅を意味する。 美希が震えている。 腕の中で。 恐怖。 そうだ。 美希の恐怖は、俺のそれより重いはず。 恐くて当然だ。 頭部を胸に押さえつけてやる。 美希「こわいなー、ずっと抱いててくださいよ?」 太一「安心しろ。俺もかなりこわい」 美希「この会話した記憶も、全部なくなって……」 抱いた手で背中を叩く。 太一「あんま考えるな、そこいら」 美希「ぇうぁ……」 太一「どういう風に消えるんだろ」 美希「当方未経験につき」 太一「そりゃそーだ」 美希「桜庭先輩、どうしてますかね?」 太一「あいつすでに死んだって設定。俺の中で」 美希「またそんな愛のないことを……」 太一「おまえが言うな!」 美希「あはははは」 まるで日常会話だった。 太一「まったく、ひとおもいにやれってんだ、世界め」 美希「ねえ、たいち先輩」 太一「なんだね、マイガール」 美希「好き」 俺が、最後に聞いた言葉になった。 CROSS†CHANNEL